大洋を望む
パリを西に行った果て、イングランドへ伸びる角のような半島。それがブルターニュの地である。山がちで小麦は取れぬ。なので民草は漁と牧畜、それから塩で生計を立てた。
古くよりケルトの民であるブルトン人が暮らし、いまはフランス人の公を戴く邦であった。
この半島の根元、ゲランドの城は浜にほど近いところにある。
城壁を登ればすぐ南にビスケー湾を望むことができた。海塩を運ぶ職人たちの掛け声がすぐそこで聞こえる。そこで目を細めて洋上を眺める甲冑姿の男がいた。
城主のジャン・ド・モンフォールである。
体の線は細くもう老年の歳頃。だが着る古した鎧と顔に刻まれた皺が、彼が歴戦の勇士であると語っていた。海風が吹くたびに帯につけた長剣が揺れてカチャカチャと音を立てている。
モンフォールの瞳は凪いだ海とは裏腹に炎が灯っているようだった。眺めているのは、南へ向かうイングランドの大船団だった。
戦だ。それもとびきり大きな戦が始まるのだ。
主の1337年、イングランド王エドワード3世はフランス王フィリップ6世の王位を否定。自らがフランス王に即位すべく戦端を開いた。
カペー直系が途絶えたことで、女系でその血を引くエドワード3世と、男系の縁類であるフィリップ6世との間に継承戦争が起きたのだ。
「あれはボルドーへ向かっているな」
そう呟くと傍らの妻、ジャンヌが口を開く。
「もうあなたも向かう頃よ。あなたにはあなたの戦争がある」
若く美しい女だ。まなじりも鼻先も全てが鋭い。見る者の心を柔がせるというよりは凍らせるような美しさである。その振る舞いは夫のモンフォール以上に堂々として勇気と知性に満ち溢れていた。
俺には過ぎた女だ、とモンフォールは思う。
「ああ、しばらく城はそなたに任せる」
そうだ俺も始めるのだ、俺の戦を。
ゲランドの城からモンフォール率いる軍勢が出立した。乗馬騎士が数人とクロスボウ兵が100で、あとは徴募兵でしめて500ほどの寡勢だ。向かうのはブルターニュ半島の先端・レオンの地。
主の年、1337年のことモンフォールはかの地を奪い取るべく、レオン領主エルベ・ド・レオンを攻めた。彼はレオンへの請求権を父からの相続により有していた。
互いの手勢はほとんど同じだった。小貴族同士の小競り合いだ。だがモンフォールには同盟の利があった。
妹の夫、ヴェネツィアのドージェであるフランチェスコ・ダンドーロがはるばるイベリア半島を大回りして兵を繰り出してくれた。ありがたいことだ。
こうしてモンフォールは難なくレオンを手に入れた。「正統な請求権に従い、卿よりこの地を頂く」捕えられて肌着一枚のエルベ卿を、モンフォールは城から蹴り出した。
レオンの攻略からゲランドへ戻る途上、ブルターニュの首府ヴァンヌを通りがかった。代々のブルターニュ公城がある都市だ。
レオンなど始まりに過ぎない。あそこの公座に座るための最初の一歩なのだ。
異母兄のジャン3世に男子はいない。順当にいけば次の公爵位は弟のモンフォールのものであったが、ジャン3世はその継承権を認めなかった。異母兄弟同士の仲は長らく拗れきって、二人は忌み嫌い合う仲だったからだ。
待てど暮らせどモンフォールは公になれぬ。
一時はジャン3世がジャンヌにさえ手を出そうとして、決闘騒ぎにまでなったこともある。それもモンフォールには気に入らない。
あの美しいジャンヌに、老いぼれめが何を色気を出す! いわく「彼女は愚弟にはふさわしくない」だとかなんとか。あの聖人面を思い出すだけで、はらわたが煮えくり返る。
モンフォールがかつての怒りを思い出すことに夢中になっていると、気が付けばもうゲランド城が近い。城壁から身を乗り出して、妻ジャンヌが手を振っているのが見えた。
モンフォールは戦疲れが嘘のようにすっと体が軽くなって、馬に鞭を入れて走りださせた。小さくなっていく兵たちに声をかける。
「諸君らは疲れていよう! ゆっくりと来るように! できる限りな!」
何があろうとも、彼女を公妃にするのだ。あれはナントからブレストにかけて一番の女だ。ならば一番の男の妻でなくば嘘になる。そのためであれば、この身が燃え朽ちたってかまわない。
冷血漢のはずの老将軍は、自らの滾りを抑えることができなかった。
うまい話し
ようやく俺の時代がきた。
主の年1342年のこと、ブルターニュ公ジャン3世が卒去した。齢56であった。これでこの家にもう男子はいない。ブルターニュ公になる時が来たのだ。だが実際にブルターニュ公位を継いだのは、とある幼子であった。
ブランシェは、最晩年にジャン3世がもうけた女子であった。たかだか4歳である。モンフォールはパリ高等法院に訴えたが、彼が継承権を失っていることが再度認められて棄却された。
無論それで引き下がるモンフォールではない。彼はブルターニュ貴族らに声をかけて、姪から公位を引き剝がしにかかった。
しかし…
「無理な話ね」
いらだつモンフォールを妻ジャンヌがなだめる。そうだ、どう考えても兵数が足りない。
モンフォール派全ての所領を足し合わせても出せるのは兵2000。ブランシェはそれを多く上回る4000。到底太刀打ちできない。妹の夫のドージェ殿はとっくに死んでいた。
ならば傭兵をと思っても、傭兵を雇う金がない。ゲランドとモンフォール=ラモーリーの所領から上がるのは月にフランス金貨で僅か3千リーヴルほど*1。だが傭兵を1000雇うには20万リーヴルは要る。
モンフォールは頭を抱えるほかなかった。実のところ、彼はもう自分がそう長くない事を分かっていた。
何度も妻ジャンヌと上ったゲランドの城壁には長らく立ち寄っていない。階段で息が切れて仕方がないからだ。兄が死んでこれからだというのに…。
暗い雰囲気の執務室のドアを叩き、おずおずと召使がやってきた。
「閣下に、お手紙でございます」
「なんだ! 高等法院のインチキ学者どもからか! そんなもの…」
モンフォールは手紙を奪って破き捨てようとしたが、召使は必死にそれを止めた。
「ち違います…! ナバラ王陛下、フィリップさまからのお手紙でございます!」
なに?とモンフォールは手を止める。確かに署名として”神の恩寵によるナバラ王にしてエヴルー伯フィリップ・ド・ナヴァール”とある。なぜナバラ王が、と慌ててモンフォールは手紙を読みだすと次第に彼は高笑いを始めた。
妻ジャンヌは夫がおかしくなったかと訝しんだが、モンフォールは嬉嬉として語り出す。
「ジャンヌ、うまい話しだぞ」
フィリップ3世が手よこした手紙の内容はこうだった。どうやら彼は妻と仲がこじれているようで、女王を牢獄に閉じ込めたいと考えていた。そこでモンフォールに頼みがあると。彼女が今度ブルターニュを通るらしいからその時に捕縛して欲しい……そういうわけであった。
報酬として前金で30万リーヴル、成功の暁にはもう30万リーヴルを支払うと。
「しめて60万リーヴル! 伯領収入の十数年分だ!」
「驚いた、イングランド人傭兵2000を3年は雇える額だわ」
「そうだジャンヌ! 女王陛下には悪いがブルターニュのためだ」
モンフォールも淑女に武勲を捧げる騎士の一人。良心が痛まないわけではないが、これから姪の公位を奪おうという男なのだ。それにブルターニュ公軍4000を相手取るよりは、女王一人を攫う方がずっと楽な仕事。
早速モンフォールは了承の返事をしたため始めていた。
戦争の始まり
諸侯の支持。ナバラ女王誘拐による多額の資金。すべては揃った。
ちょうどこの頃、妻ジャンヌが大望の男子を産んでいる。ジャンヌによく似た利発そうな子だ。
産後の息も絶え絶えの声で、ジャンヌはモンフォールに告げた。そうだ。長らく男子に恵まれなかった我が家に、妻はこうして勝利をもたらしてくれた。
「任せてくれ後は俺の番だ」
主の年1343年のこと、モンフォールは兵をおこした。彼のブルターニュ公位を請求するためである。公国摂政であるブランシェ女公の母ジャンヌ・ド・サヴォワは、この請求を痛罵し逆賊モンフォールを討つため兵を集めた。
老骨に鞭うち、モンフォールはゲランド城を出た。モンフォール党の軍勢は公領首府のヴァンヌへ兵を進め、公軍は峠道でこれを迎え撃った。激戦になったがモンフォール党が破ってそのまま城を攻囲。落城せしめた。
モンフォールにとって幸いだったのは、攻城戦のさなか幼いブランシェ女公を捕えたことであった。彼は公母と交渉し、ブランシェの所領をそのままにすることを条件に、ブルターニュ公位を譲りうけることになった。
モンフォール伯、いや今や神の恩寵により正統な全ブルターニュの公であるジャン4世。彼を遮る者は最早この公国にいない。
見たか兄上よ。すべては思いのままだ。ここからだ、ここからどう公国を統べようか。
だがその後すぐ彼は病がちになり、ベッドから起き上がることができない日が増えていった。妻のジャンヌも涙を目に浮かべるばかり。
泣くな、そなたはナントからブレストにかけて一番の女。そして今や一番の男の妻なのだ。そう口を動かそうにも、もう唇を開くこともできないようになっていた。
主の年1344年、ジャン4世はそのまま眠るように帰天した。ブルターニュ公となり僅かひと月のことであったので、世人は彼を"三十日公"と呼んだ。
【摂政ジャンヌ・ド・ダンピエールのこと に続く】
*1:リーヴルは当時のフランスの通貨。ゲーム内の1Goldを千リーヴルとしてこのAARでは表現することにします。