死、東方より来たる
世の全てはオリエントから来る。知恵も富も、死でさえもそうだった。
主の年1419年、南イタリアはバーリの港。
そこで奇妙な男の死体が出た。彼はクリミア半島から黒海を経てやって来た船乗りだったのだが、陸に上がると前触れもなく倒れそのまま死んだ。
検分のため男の服が脱がされると、股の付け根に林檎くらいの大きさの腫れ物が出来ている。また体のそこいらに黒い斑点が浮かんでいた。それを見た乗組員の一人が顔を真っ青にして叫ぶ、「ペストだ! 黒い死だ!」。
「それで、一体それはどのような病なのだ?」
女王シモーヌは玉座から怪訝な顔で侍医に問うた。スコットランド人の侍医、名をギャヴィンという、彼は伏したまま答える。
「恐ろしい流行り病にございます。かかれば横痃という鉛色の腫が出来まして、そこら身体中に黒い斑点が移ります。最後には鼻から血を出して、三日と経たず死にます」
「三日……バーリでは何人死んだのだ」
それに代わって応えるのは、大法官を務める叔父ギョーム正義伯である。
「数え切れん。教会の墓地区画が足りぬので、名のある紳士も雑民もみな同じ穴に埋めたそうだ」
「ギャヴィン、私は何をするべき?」
「市を塞ぐ他ありませぬ。ナポリにだけは届かせてはなりませぬ。また主要な都市には医院を建てていただきたい」
「わかった、触れを出しましょう」
だが、これらの施策がほとんど意味がないことがわかるのには半年もかからなかった。
ペストは燃え盛る炎だ。人という人に、都市という都市には油がかかっていて、一度火がつけば消すことはできない。次々と飛び火して燃え広がり、残るのは塵と灰のみである。霧吹きで花瓶一つ分だけ水を吹きかけてみせて、それで野火が収まったことが古来あるか?
バーリからサレルノに、サレルノからメッシーナに、メッシーナからパレルモに、パレルモからナポリへ。死の野火は広がっていった。
市のミサへやってくる者はもういない。よほどの酔狂と金欲しさに雇われた棺担ぎくらいだ。田舎生まれの者はみな都市を離れた。
都市に残った者の多くは自分の家の戸に鍵をかけて出歩かず、少ない者が享楽的に酒を飲み歩く始末。
それを後目にただただ数多くの命が死んで、死んで、死んだ。
「ペストは神の怒りだ」
「いや、思うにあれは水平派なのさ」
人々はそんな軽口を叩き合うことでしか、正気を保つことさえ難しかった。あらゆる法は乱れ、農民は種蒔きをやめ、商人は店を閉め、貴族は宮廷を去った。
モンフォール家にも死は訪れた。巷で言われるように、ペストは熱心な水平派であったのかもしれない。次々と女王に近しい者たちが身罷った。
幼王アンリの死で静まり返っていた10年前のナポリ王宮でさえ、今に比べれば賑やかではなかったか?
シモーヌにできることはほとんどなかった。自分の無力を呪う以外には。彼女の美貌にペストは目もくれず、彼女の智慧をペストは凌駕した。
地中海で最も権威ある王冠の持ち主は、心の支えを必要とした。
「俺を頼ってくれ、シモーヌ」
夫アントワーヌと寝室でこもる日々が続く。彼と毎夜に死んだ家族たちの思い出話を語り合った――母上はバラが好きだった、娘のセシリアは私よりあなたに似ていたわね、特にお鼻が……。
気晴らしには友人たちも欠かせない。
侍女のイザベラは平民の出ながら学問を身に着け、他愛のない宮廷の噂話でも、高度な自然哲学の話でも女王を楽しませた。
それから従兄弟のイザクは可愛らしい顔つきで利発だったので、シモーヌは彼を弟のように思い気に入ってしばしば相談役とした。
地中海の女王
そうして気づけば5年の時が経っていた。
ペストは過ぎ去った。シモーヌこそ生き残ったが、数え切れぬ死が王国を蝕んでいた。
塵は塵に。灰は灰に。
だが人は死から免れることはできずとも、また子を生むことはできる。シモーヌはペストを退けることはできなかったが、死の大地に王国を建て直すことはできる。
「……さぁ、私たちの仕事を始めましょう」
早速、大法官のギョーム叔父が王国全土の地籍台帳をまとめてくれた。この五年でどの土地が相続人を失ったのか一目でわかる作りだ。数年前に、ペストの終わりを見越して命じておいた仕事がようやく実ったのだ。
シモーヌが取り掛かったのは、内政だけには留まらない。女王はようやく動かすことができるようになった軍兵を西地中海へ送ることにした。
「ドイツのヴァロワ家の支持は取り付けた。イングランドはフランスの反乱にかかりきり。イベリアはがら空きだ」
女王シモーヌの母がアラゴン王家の出であることは、以前書いた。彼女が先だってペストで亡くなったことでシモーヌに継承権が渡ってきたというわけだ。
主の1420年のこと、シモーヌは兵1万をバルセロナに送ってアラゴンの王・ハイメ5世に王冠を要求した。しかし彼はそれを断り、兵3000ばかりで抵抗した。
結果は言うまでもないことだ。代えがたい忠誠を示したアラゴン兵の亡骸を、シチリア人たちは丁重に故郷に返してやった。
騎士らの死を前に、ハイメ王は王冠を渡して首を垂れるほかなかった。
シモーヌは敗者に優しくはない女だった。
彼女は教皇庁に働きかけて、哀れな廃王ハイメの古い親族殺しを暴き立てて、破門の身に貶めた。彼の私有財産は没収とされ、王族としての身分を取り上げられた。
シモーヌのイベリアでの動きは、そのままの勢いにのる。
間髪入れず彼女はアラゴン女王として、サラゴサやマヨルカ諸島といった王国旧領の回復のために、カスティーリャに攻め込んだのだ。
シチリア騎士たちは深くセビリアまで攻め込み、イベリアを荒らしまわった。カスティーリャはたまらずコルドバ近郊のペドローチェの丘で会戦を仕掛けた。
カスティーリャ勢を率いるのは、アグシェールという名のモロッコ人傭兵隊長である。彼は黒い肌の大きく強い男であり、イベリア人たちは彼を大いに頼りに思っていた。
しかし彼に率いられたキリスト教徒の軍勢は腰砕けばかり。信仰なき剣ほど折れやすいものはない。異教徒へ身を任せた報いをすぐに彼らは受けることになった。
この戦いのあとシモーヌはバルセロナにやってくると、そこへカスティーリャ女王を呼びつけてアラゴン旧領すべての返還を求めた。モンフォールの女王を恐れ嫌っていたアラゴン諸臣も、彼女が彼らの諸権利を取り戻したことで平服するようになった。
イベリアにやってきてからおよそ7年。全てがシモーヌの思うままだった。ペストに比べれば、人の王国のなんと御し易いこと。
イベリア半島東岸を手に入れたシモーヌは、地中海で比類なき地位を手に入れるに至った。いずれこの海はすべてシチリア王国に属するだろう。
ペストが過ぎ去ってようやく、かつて夢見た黄金のアジア航路を切り開くにふさわしい王国を築いたのである。塵は塵に、灰は灰に。しかし灰より芽吹く草花もあるものだ。
ひとつの時代
主の年1435年、ブルターニュはゲランドの城にほど近い浜で、今日も海塩を採る職人たちが額に汗して働いていた。天気は明朗で、波が陽の光を弾いて輝いている。
昼下がりになって、そのうちの一人が外海に大きな影を見つけた。最初は島かと思ったが様子がおかしいと騒ぎ始めた。
「ありゃ…軍船だ、とんでもなく大きいのたくさんだ! 代官様に知らせを出せ!」
彼らは大慌てでゲランド城の代官所へ、それから代官はもっと慌ててブルターニュを預かるギョーム・ド・モンフォールへ使いを出した。
「申し訳ありません陛下、イングランド船だと代官も思い違えたようでして…」
「やれやれ、とんだ騒ぎで出迎えられたものですね」
港へ付けた軍船から降りてきたのは、黒い喪服に身を包んだ女王シモーヌだった。ナポリより将軍らに外交官などを引き連れて、4万もの軍勢を整えてブルターニュへやってきたのだ。
彼女を出迎えた老ギョームの脇には、仕立ての良いマントを羽織った恰幅の良い男が一人。分厚い外套で隠れてはいるが、背曲がりであることが明らかだった。
「お初にお目にかかりますな女王」
「さてアルトワ伯殿、共にイングランド王の鼻をあかせてやりましょう」
アルトワ伯は北仏諸侯を糾合し、イングランド王との戦端を開いたばかりだった。シモーヌは彼と手を結び兵を送ったというわけである。
これまでイングランド王によるフランス支配は基本的には驚くほど安定していたが、先だってエドワード6世が「謎の死」を遂げてその子・幼君エドワード7世が立つと、情勢は急変したのだ。
アルトワ伯たちは幼君に対して臣従礼を拒否した。つまり独立戦争である。
正直なところ、シモーヌははじめアルトワ伯を支援するつもりはなかった。
モンフォール家は長らくもう一つのフランス王統にして今や神聖ローマ皇帝たるヴァロワ家の同盟者である。逆に、アルトワ伯の家系はその王位の簒奪者であるとみなされていた。
しかし、この時のヴァロワは混乱していた。
ドイツにヴァロワの根を張った皇帝シャルル2世は逝去し、彼の持っていたフランス王への請求権は完全に失われた。
もはやヴァロワがランスの大聖堂で戴冠することはあり得ない。それを目の当たりにするという、モンフォールの夢は絶えた。
それどころかシャルル2世の死後にヴァロワ家は皇帝家とポーランド王家の二つに分裂した。彼らは皇帝位をめぐって反目し合っていたのだ。
シモーヌは彼らの間に立って何枚もの書状を送って諸都市を周り、両者が矛を収める仲介を行ったのだ。女王の努力がなければ帝国は本当に分裂していただろう。ヴァロワはフランスの混乱を収める状況にない。
そういうわけで、シモーヌが今イングランドに打撃を与えるならば、アルトワ伯と結ぶ他なかったのだ。
さて、こうしてシモーヌは軍を伴ってブルターニュにやってきたわけだが、宿敵たる英仏二重王国は驚くほど弱体であった。彼らがフランスの地で動員できたのはおよそ三万ほどで、一方シチリアと北仏諸侯の連合軍は八万を超えた。
そして、連合軍はシャロンの地でイングランド軍を捉えた。
あっけない勝利だった。
この戦いでシモーヌは珍しいことに、戦場に立ち会っていた。彼女の治世で初めてのことだったので将軍たちは不思議がった。
黒衣の女王は大変目立ち、彼女の評判の美貌を一目見ようと雑兵たちが群れを作ったが、彼女は決して顔のベールを上げず彼らを落胆させた。
「私のような老耄を見ては兵士たちも勇むことはできまいが、ベールに隠された美女のためなら喜んで戦うだろう」
じじつ彼らは奮戦し、イングランド軍を散々に破ったというわけだ。
「イングランドとは、こんなものなのか」
女王は幕舎で呟く。かつてアルテュール王が死に物狂いで手にした彼らへの勝利を、女王は容易く二度も手に入れた。
ヴァロワをドイツに、モンフォールをナポリに追い出したイングランド。その衰退はひとつの時代の終わりを示していた。陽は昇れば沈むもので、日が沈めば一日が終わるのは当たり前のことだ。
シチリア軍はそのままパリを占領し、いくさの始まりから2年ほどで和平条約が結ばれることになった。
北仏諸公は臣従を免除され、独立した公国となった。フランス人たちはイングランド人による支配が絶対のものではないのだと、この年思い出すことになった。
主の年1436年のことである。イングランド王エドワード3世がフランスの地に降り立って以来、100年の時が立とうとしていた。
この新しい時代に太陽がいずこから昇るかは、いまだわからない。
〈完〉
1437年の世界
シチリア王国を除くと欧州には二つの大国が存在します。
中欧に君臨する神聖ローマ帝国は、モンフォール家の同盟者・二つのヴァロワ家が治めています。とにかく頼れる相方でした。
もう一つは何といってもイングランド=フランス二重王国。本AAR最大のライバルでした。彼らからフランス王位をはぎ取りたかったが…。
さらにほか新興国としてボスニア王国も欠かせません。ハンガリーを併呑しただけでなく、一時はセルビア王位に手を伸ばしかけました。
また一時期はシチリアの侵攻に悩まされたビザンツ帝国も命脈を保っています。ヨーロッパ側領土が広げられないとみると、小アジアのトルコ人たちを破って領土を広げました。
*1:今回が伝染病DLCの初プレイなのでシステムを完全には理解していないが、これらの政策でプロビの伝染病耐性を上げて蔓延を防ぐのだと思われる。