ドイツ遠征
攻城機が唸りを上げ、飛び上がった巨石が城壁を貫く。ブルターニュ兵たちが喚声を上げて、崩れた壁の隙間を分け入る。アルテュールはその様子をじっくりと陣から見つめていた。
主の年1371年、フランスとドイツの国ざかいルクセンブルクの地。ここをブルターニュ軍は攻めていた。義兄のノルマンディー公シャルル、つまり廃王シャルル・ド・ヴァロワのドイツ攻めを手伝うためである。
シャルル公は母を通じ、前皇帝家であるルクセンブルク家の血を継いでいた。それを根拠として神聖ローマ皇帝位を請求したのである。
皇帝だって? フランス王の聞き違いか? 彼がイングランド王をフランスから追い出すべく立ち上がるものだとばかり思っていたアルテュールは驚いた。しかし、シャルル公の「より遠大な意志」を聞いてこれを助けることにしたのだ。
「義弟殿よ、今はまだイングランドとことを構えるときではない。認めなくはないが奴らは強い。だがドイツ人らは分裂し、弱体だ。私が皇帝となりさえすれば、いずれフランスは熟れた果実のようにこの手に落ちるだろう。その時、私はかつての大帝の広大な領域を一つにするのだ」
夢物語だ。だが耳を傾けたくなる《力》を、この男は持っていた。もしそうなればモンフォール家は強力な同盟者を得るだろう。
が、そうはならなかった。
哀れシャルル公は戦死したのだ。善き皇帝になっただろうに。運命とは水のようなもので、器からこぼれ落ちればもう戻ることはない。
しかし、アルテュールはこれで挫ける男ではない。シャルル公には一人息子の小シャルルがいた。この少年をアルテュールは見放すことができなかった。だってまるで、幼き頃の自分ような境遇ではないか…。
そこでアルテュールは今度は小シャルルのため、バストーニュの地で皇帝軍に決戦を挑んだ。
アルテュールはこの戦いで、見事にドイツ人に膝を屈させた。皇帝は抵抗を諦め、ヴァロワ家に帝位を譲り渡すことに決めた。
小シャルルはまずプラハでボヘミア王となり、未成年であったためローマ王としてまず認められ、その成人の暁には皇帝として戴冠することとなったのである。
ヴァロワはブルゴーニュに王位を奪われ、ブルゴーニュはイングランドに逐われ、その末にヴァロワは帝位を得たわけだ。まこと運命とは水のようなもの。溢れれば戻らないが、巡りに巡って流転するのである。
さて、小シャルルの摂政には母であるペルネル・ド・モンフォール、つまりアルテュールの姉が就いた。
ただでさえフランス人の、しかも女の摂政に帝国諸侯のかじ取りは難しい。必然アルテュールは帝国の後見人として、ヴァロワ家を守らねばならぬ。そしてもちろん、アルテュールにとっても帝国との協調関係は欠かせない。
モンフォールなくしてヴァロワはなく、ヴァロワなくしてモンフォールはない。
「姉上、次は私の番だ。一年だけ軍を休ませるとしましょう。その後ドイツ人たちの軍勢を借り受けたい」
「もちろん! でも、一体どこに兵を出すって言うの?」
「ナポリだ。私はナポリ王になる」
ナポリ戦争
ナポリ。麗しの国。
アルテュールが青春を過ごした地、妻マリーが生まれ育った地。王になるならばこの国の他はないとアルテュールは考えていた。競技場でマリーに誓った「王冠」に、彼女の故国のそれ以上にふさわしいものはないだろう。
かつてアルテュールを救ってくれた女王マリーは暗殺され、一人息子のロベール2世は国をまとめ切れていなかった。
これにお墨付きを与えたのが他でもない教皇庁である。ナポリ王国は元来教皇党の地。そして東方帝国に抵抗するラテン=ギリシアの盟主である。そんな王国に、猊下は弱い王を望まれない。
主の年1373年、アルテュールは兵を興してナポリへ立つこととした。
彼の側に立ったのはもちろんヴァロワ皇帝家。それに新たに婚姻によって繋がったアラゴン王国だ。ナポリのロベール2世についたのは、トリナクア王とミラノ公とエピロス専制公。アドリア海とティレニア海が、敵と味方で相別れた。
アルテュールは南仏でヴァロワ軍と合流してイタリアに入るつもりだったが、そこに摂政ペルネルからの早馬が届く。
「アルテュール、まずいことになったの。対立皇帝を立ててポメラニア公が挙兵した」
無理もないことだ。
ヴァロワ家はよそ者で、しかもそのよそ者が皇帝についた途端出兵するというのだから、気にいらない諸侯もいるだろう。あるいはナポリのロベール王が唆したのだろうか…そこまで手が回る男には見えなかったが。
ともかくアルテュールはまずこの反乱に対処することとした。ドイツの軍勢とともにライン川上流の諸侯の諸市を落として回った。徐々に、南部の諸侯は反乱から離脱していく。
アルテュールの攻囲を解くべく、諸侯軍は決戦を挑まざるを得なかった。ヴァインハイムの地で皇帝軍と諸侯軍はぶつかり、再びドイツ人たちは膝を屈した。
ドイツのことは姉ペルネルに任せると、今度こそイタリアに入る。緒戦の地はナポリ北方・ガエタの地。
アルテュールはそこへと敵2万を誘引すると、伏せさせていた帝国軍1万5千と共に挟み撃ちにした。なんてことはない、ヴァンハイムの繰り返しだ。
ナポリの蓋は外れた。ブルターニュ人が、カタロニア人が、ドイツ人たちが洪水のように雪崩れ込む。ナポリもアマルフィもサレルノも南イタリアを飾る宝石たちは一挙に市門を開いた。
ナポリ勢は、狭い「ブーツ」の中を虱の如く逃げ惑うばかり。
主の年1378年。ロベール2世はついに諦めて、アンジュー家伝来の王冠を差し出して慈悲を請うた。アルテュールは妻マリーとともナポリの大聖堂で聖別を受けて、その冠をかぶった。主に見捨てられた玉座のなんと脆いことか。
ほんの十数年前、偽修道士としてナポリへやってきた彼は、今度は王としてこの地に帰ってきたわけである。
「アルテュ―ルさま、弟の処遇はどうなされるおつもり?」
「……決着をつけねばならないでしょうな」
パンティエーブル女伯の呪いの言葉が再び響く。《人の物が欲しくて欲しくて仕方ないんだ!》……妻マリーはアルテュールの苦悩を読み取って微笑む。
「私のことはお気になさらず。私たちにとって、あの子はきっと害になる」
そうだ先王ロベールはナポリ王国の殆どとサレルノ公位を保持したままである。しかも姉のメリュジーヌ、つまりナポリ戦争でロベールについたトリナクア王の妻を王位につけるべく早速策動していた。
彼を除かなければならぬ。願わくば永遠に……。
アルテュールは軍を休めることなく、今度はシチリア島に進軍した。ナポリ戦争は終わっていなかったのだ。先の戦いで既に傷ついていたトリナクア王国はほとんど抵抗することができず、全島がすぐに失陥した。
アルテュールの野心を挫くためにヴェネツィア共和国までもが敵についたが、勢いに乗った彼を止めることはできなかった。
トリナクア王にナポリを明け渡してしまおうという先王ロベールの不格好な陰謀は、これで成就しえない。
そしてアンジュー朝の創始者であるシャルル1世の治世のころ「シチリアの晩鐘」で分かたれた二つのシチリア王国は、アルテュールの手によってふたたび一つになった。
残るは最後の仕上げだ。
全ての望みを失った先王ロベールが慰みの酒に溺れている時、ワインへ毒が混ぜ入れられたのだ。哀れロベールは苦しみながら死んだ。彼には子がなかったので、アンジュー家の財産全ては女王マリーのものとなった。
アルテュールの陰謀の手によることは明らかである。「そこまで許した覚えはございませぬぞ!」教皇庁の使者はアルテュールの破門さえチラつかせた。しかし今やローマの北と南は我が勢力圏だ。文句は言わせぬ。
灯台のこちらと向こうの征服者。唯一にして正統なシチリアの王、アルテュール・ド・モンフォールに幸いあれ!
王として
嫡男ロベールとアラゴン王女セシリアとの結婚式はこのすぐ後のことだ。アルテュールはパレルモのノルマンニ宮殿を整えさせて、縁類を招いてこれを祝った。
また、甥の小シャルルも同じ頃に成人しており、祝いにパレルモへ訪れた。少年は気づけば弁舌爽やかな青年皇帝に育っていた。かつての主君の子の成長も見られて、この日はアルテュールにとって最良のものとなった。
王国内のアンジュー諸分家の者どもも祝いに来る。征服者であるアルテュールは彼らを厚遇し丁重に扱っていた。中でもドゥラス家、カラブリア家、ターラント家の者は国王評議会に席を与えられるか、あるいは未成年の者はいずれ与えられた。
いまやアルテュールとマリーはアンジュー家の家長でもあるのだから。
「諸卿、これを見てもらいたい。今日のために急ぎ造らせたのだ」
アルテュールは聴衆を集めて、大きなタペストリを広げさせた。一同から感嘆が漏れる。中心には玉座のアルテュール、傍には女王マリー。そしてそれを取り囲むようにシチリアの諸君公が織られている。
ブルターニュ以来の功臣、アンジュー諸家、旧トリナクア王臣らの姿も見える。ブルターニュ人、フランス人、イタリア人、カタロニア人……その全てが集っていた。
タペストリは王の治世を良く表している。彼は先王ロベールを謀殺して以降は、調和的な君主として振舞った。カタロニアやイタリアの言葉を覚え、諸侯の伝来の権利を殆ど変えず、陰謀に動いた家臣も最低限しか罰さなかった。土地台帳を作り収入を確保し、各地の街道や城を整備した。
気づけば彼の王位を疑う者はいなくなっていた。
こうしてアルテュールが王国をまとめ上げると、その余力を東方へと向けることにした。シチリア王国伝来のビザンツ政策を復活である。
ノルマン人がこの地に王国を建てて以来、歴代の諸王は常にビザンツの征服を目指してきた……そして失敗してきた。ロベール・ギスカールもシャルル・ダンジューも。歴史に名高い男たちが成せなかった望みを、アルテュールは果たしたいと考えたのだ。
全ての富の在り処、コンスタンティノープル。第四回十字軍で傷ついてなお、彼の地は未だに輝きを放っている。かの地を征服し、正統なローマ教会の支配下に置く。その上でいずれは更なる東方…エルサレムへ。
主の年、1384年。アルテュールは自ら軍を率いて、ビザンツ帝国へ攻め込んだ。ドイツ勢も含めたシチリア王軍の数は五万にも及び、煌びやかな鎧で着飾ってアドリア海を超えた。
この時のギリシャ人の皇帝はヨハネス5世。
彼は極めて精力的な、帝国の「修繕者」であった。セルビア王国を下し、ラテン人のアテネ公国とエピロス専制公国を滅ぼし、トルコ人たちの侵攻を挫いた男だった。彼は弟のミカエル・パレオロゴスを司令官とし防備させた。
シチリア軍とビザンツ軍は、帝国の東部国境で幾度も戦った。
名だたる都市という都市全てが攻囲を受け、あるいは奪還された。数で劣るビザンツ軍だったがシチリアの後背地をたびたび脅かし、アルテュールが首都コンスタンティノープルへ辿り着けぬように抵抗した。
しかし、そこを捉えられ会戦となった。
それぞれが同じ主に祈り勝利を願ったが、数時間の喧騒ののちギリシャ人たちの軍勢が敗れたのは、その思し召しとしか思うほかない。
帝国自慢のカタフラクトは丘がちな地勢に戸惑い、アルテュールはそこへ弩弓の雨を降らしたのだ。潰走する彼らをアルテュールは軽騎兵でもって追いかけ回した。
これで帝国はエピロスを失陥した。
これまでヨハネス5世の賢政を賛美してきたギリシャ貴族たちはうって変わって敵となり、彼は宮廷の陰謀の果てに死んだ。後を追うように弟のミカエル・パレオロゴロスも病を得て亡くなる。あぁ、かくも移ろい易き《運命》よ。
アルテュールはこの10年後に再び帝国へ侵攻し、容易く勝利しアカイアを得ている。英雄の死せる国のなんと惰弱なことか。ラテン=ギリシャ国境はおよそ半世紀ぶりに東方へ拡大したことになる。アルテュールの夢はいまだ半ば、だがもう半ばであった。
奪う者と奪われる者
『ナポリはしっかりと私が守っております』
『ロベールはブルターニュでしっかりやってるみたい。孫のアンリの可愛さったら、ああ! あなたに早く見せてあげたいわ』
『陛下の勝利と、なにより健康を祈るマリーより』
アルテュールはシチリア王となってからそのほとんどを外征して過ごした。気づけば齢50を超えていた。ゆえに王としての執務はナポリに残る妻マリーと、息子のロベールの助けがなければ成り立たなかった。
アルテュールはいつもやり取りする手紙に、彼女の献身を讃える詩を書いて混ぜていた。詩は読むばかりだったが、もっと早く覚えるべきだった。
この時もアルテュールは、フランスの地にいた。
主の年1400年、イングランド=フランス二重王国がシチリア王国のフランス領を攻めたのだ。いつかは彼らと決着をつけねばと思っていたが。甥の盟友シャルル帝やアラゴン王国も加わり、ヨーロッパ王侯の殆どが剣を取る戦いになった。
これは長い戦になるぞ…そう覚悟を決めて、アルテュールは軍を率いていた。
聞けば領民は近頃自分を「狼」と呼んでいるとか。狼。ときに高潔で美しく、しかし狡猾で残忍。まさに奪い、殺して、生き続けた私にふさわしい添え名だと自嘲する。女伯を殺し、ロベール王を殺し、ヨハネス帝も私が殺したようなものだ。
だが奪わねばすぐに得たものが掌からこぼれ落ちていくように感じられるのは、未だ亡き母のことが頭を離れぬゆえか。そう、今もイングランド人が私の財産を奪おうとしているではないか。
そんな中、手紙が陣に届く。ナポリからだ。しかし妻マリーからではないという…不思議に嫌な気配がする。
それはマリーが帰天したという知らせであった。そんな馬鹿な。彼女は私の無事を祈るばかりで、自分の体のことなど書いていなかったではないか!
遠征テントの中で一人嗚咽を漏らしていると、小姓がおずおずと入ってくる。今度はブルターニュからの知らせだという。いやだ。聞きたくない。
私の体の中央に埋めがたい穴がぽっかりと空いたような気分がする。いやそれは元から空いていたのだ。穴よ、私が生涯をかけて埋めたはずのもの。騎士道物語で、バイエルン人の友で、マリーで、子供たちで、王冠で埋めたはずの穴。埋めれども塞がれはしないもの。
だが戦場は憂鬱に浸ることを許さない。
イングランド人の軍勢が北に見えたと斥候が伝令する。喇叭が吹かれる。陣が動き出す。結局私にはこれしか残っていないのか。
アルテュールは陣頭で自ら剣を取って戦った。「シチリアの狼だ、狼が来た」敵のフランス兵がおびえるのが聞こえる。敵の戦列が崩れる。そうだ私は狼だ。死が訪れるその瞬間まで奪って、殺すのだ。
ふと頭をよぎる、何度もこれまで聞いた女伯の呪いのことば。『人の物が欲しくて欲しくて仕方ないんだ!』。そうだ、だがそうせねば私は生きれなかったではないか!
主の年1401年のこと、イングランド=フランス王国が和を乞う形で戦は終わった。シチリアの勝利である。それを見終えるとアルテュールは妻のもういないナポリへ帰り、そのまま直ぐ卒去した。
敵にしてなんと恐ろしく、友にしてなんと頼もしい男だったか。彼の名で飾られた王国は孫のアンリが継承した。狼は死んだが、最後に毛皮を遺した。もはやなんびとも彼から奪うことはできない。
【アンリのこと につづく】
*1:妻マリーの請求権をロベール2世成人前に行使するという考え方もあったのですが、アルテュールの代で王になりたかったためこの形にしました。特にTLatLでは王号の効力がバニラより高いのです。