ゲームのはなし諸次第

パラドゲーのAARを置くつもりの場所

素晴らしきシモーヌのこと②(1417~1437年)

死、東方より来たる

世の全てはオリエントから来る。知恵も富も、死でさえもそうだった。

たちこめる暗雲

主の年1419年、南イタリアはバーリの港。

そこで奇妙な男の死体が出た。彼はクリミア半島から黒海を経てやって来た船乗りだったのだが、陸に上がると前触れもなく倒れそのまま死んだ。

検分のため男の服が脱がされると、股の付け根に林檎くらいの大きさの腫れ物が出来ている。また体のそこいらに黒い斑点が浮かんでいた。それを見た乗組員の一人が顔を真っ青にして叫ぶ、「ペストだ! 黒い死だ!」。

ペスト上陸
ついに来てしまった超バッドイベント

「それで、一体それはどのような病なのだ?」

シモーヌ
シチリア女王
人呼んで"輝かしき女王"

女王シモーヌは玉座から怪訝な顔で侍医に問うた。スコットランド人の侍医、名をギャヴィンという、彼は伏したまま答える。

"スコット人の"ギャヴィン
女王の侍医
遥々サレルノで医学を学んだのだろう

「恐ろしい流行り病にございます。かかれば横痃という鉛色の腫が出来まして、そこら身体中に黒い斑点が移ります。最後には鼻から血を出して、三日と経たず死にます」

黒死病
DLCで追加された伝染病システムの花形
極めて高い致死性と拡散力を持つ

「三日……バーリでは何人死んだのだ」

それに代わって応えるのは、大法官を務める叔父ギョーム正義伯である。

「数え切れん。教会の墓地区画が足りぬので、名のある紳士も雑民もみな同じ穴に埋めたそうだ」

家令のギョーム叔父

「ギャヴィン、私は何をするべき?」

「市を塞ぐ他ありませぬ。ナポリにだけは届かせてはなりませぬ。また主要な都市には医院を建てていただきたい」

「わかった、触れを出しましょう」

首都隔離を行う

ナポリなど大都市に医療建築を作る*1

だが、これらの施策がほとんど意味がないことがわかるのには半年もかからなかった。

常識的な対応には一定の効果があったはずだが…

ペストは燃え盛る炎だ。人という人に、都市という都市には油がかかっていて、一度火がつけば消すことはできない。次々と飛び火して燃え広がり、残るのは塵と灰のみである。霧吹きで花瓶一つ分だけ水を吹きかけてみせて、それで野火が収まったことが古来あるか?

バーリからサレルノに、サレルノからメッシーナに、メッシーナからパレルモに、パレルモからナポリへ。死の野火は広がっていった。

王国は全て黒死病に覆われた
首都ナポリも例外ではない

市のミサへやってくる者はもういない。よほどの酔狂と金欲しさに雇われた棺担ぎくらいだ。田舎生まれの者はみな都市を離れた。

都市に残った者の多くは自分の家の戸に鍵をかけて出歩かず、少ない者が享楽的に酒を飲み歩く始末。

それを後目にただただ数多くの命が死んで、死んで、死んだ。

「ペストは神の怒りだ」

「いや、思うにあれは水平派なのさ」

人々はそんな軽口を叩き合うことでしか、正気を保つことさえ難しかった。あらゆる法は乱れ、農民は種蒔きをやめ、商人は店を閉め、貴族は宮廷を去った。

税収はままならず軍隊は動かせず
必然的にあらゆる統治は麻痺する

既知世界のほとんどを死が覆う
何もできない!

モンフォール家にも死は訪れた。巷で言われるように、ペストは熱心な水平派であったのかもしれない。次々と女王に近しい者たちが身罷った。

幼王アンリの死で静まり返っていた10年前のナポリ王宮でさえ、今に比べれば賑やかではなかったか?

娘の死

母も…

シモーヌにできることはほとんどなかった。自分の無力を呪う以外には。彼女の美貌にペストは目もくれず、彼女の智慧をペストは凌駕した。

地中海で最も権威ある王冠の持ち主は、心の支えを必要とした。

初のメンタルブレイク

「俺を頼ってくれ、シモーヌ」

夫アントワーヌと寝室でこもる日々が続く。彼と毎夜に死んだ家族たちの思い出話を語り合った――母上はバラが好きだった、娘のセシリアは私よりあなたに似ていたわね、特にお鼻が……。

最愛の夫アントワーヌ
彼無しでは生きていけない

気晴らしには友人たちも欠かせない。

侍女のイザベラは平民の出ながら学問を身に着け、他愛のない宮廷の噂話でも、高度な自然哲学の話でも女王を楽しませた。

それから従兄弟のイザクは可愛らしい顔つきで利発だったので、シモーヌは彼を弟のように思い気に入ってしばしば相談役とした。

侍女のイザベラ
極めて優秀な女で、
女王の良き話相手にして友人である

イザク・ドゥラス
アンジュー=ドゥラス家の出の青年
この時ドゥラス家は本貫たるドゥラスを失い
シモーヌを頼ってナポリで仕えていた

彼らが誕生日祝いをしてくれるイベントも

地中海の女王

そうして気づけば5年の時が経っていた。

ペストは過ぎ去った。シモーヌこそ生き残ったが、数え切れぬ死が王国を蝕んでいた。

最終的に1万人以上の
キャラクターが死んだらしい…

塵は塵に。灰は灰に。

だが人は死から免れることはできずとも、また子を生むことはできる。シモーヌはペストを退けることはできなかったが、死の大地に王国を建て直すことはできる。

「……さぁ、私たちの仕事を始めましょう」

ペストからの復興イベント
5000ゴールドもの出費が必要だが
プロビに多くのプラス補正がかかる

早速、大法官のギョーム叔父が王国全土の地籍台帳をまとめてくれた。この五年でどの土地が相続人を失ったのか一目でわかる作りだ。数年前に、ペストの終わりを見越して命じておいた仕事がようやく実ったのだ。

陳情から派生して起こるイベント
領地全体の開発度にバフがかかる

シモーヌが取り掛かったのは、内政だけには留まらない。女王はようやく動かすことができるようになった軍兵を西地中海へ送ることにした。

「ドイツのヴァロワ家の支持は取り付けた。イングランドはフランスの反乱にかかりきり。イベリアはがら空きだ」

アラゴン継承戦争の始まり

アラゴン王国
西地中海を支配していたが
カスティーリャに押されていた

女王シモーヌの母がアラゴン王家の出であることは、以前書いた。彼女が先だってペストで亡くなったことでシモーヌに継承権が渡ってきたというわけだ。

主の1420年のこと、シモーヌは兵1万をバルセロナに送ってアラゴンの王・ハイメ5世に王冠を要求した。しかし彼はそれを断り、兵3000ばかりで抵抗した。

バルセロナ攻城戦

結果は言うまでもないことだ。代えがたい忠誠を示したアラゴン兵の亡骸を、シチリア人たちは丁重に故郷に返してやった。

騎士らの死を前に、ハイメ王は王冠を渡して首を垂れるほかなかった。

バルセロナの虐殺

シチリア連合王国の成立

シモーヌは敗者に優しくはない女だった。

彼女は教皇庁に働きかけて、哀れな廃王ハイメの古い親族殺しを暴き立てて、破門の身に貶めた。彼の私有財産は没収とされ、王族としての身分を取り上げられた。

ハイメは危険だ

全領地を没収し
全ての請求権を取り消させる

シモーヌのイベリアでの動きは、そのままの勢いにのる。

間髪入れず彼女はアラゴン女王として、サラゴサやマヨルカ諸島といった王国旧領の回復のために、カスティーリャに攻め込んだのだ。

アラゴン継承戦争に続き
すぐさまカスティーリャを殴りつける
狙うはサラゴサとマヨルカ

シチリア騎士たちは深くセビリアまで攻め込み、イベリアを荒らしまわった。カスティーリャはたまらずコルドバ近郊のペドローチェの丘で会戦を仕掛けた。

ペドローチェの戦い

カスティーリャ勢を率いるのは、アグシェールという名のモロッコ人傭兵隊長である。彼は黒い肌の大きく強い男であり、イベリア人たちは彼を大いに頼りに思っていた。

しかし彼に率いられたキリスト教徒の軍勢は腰砕けばかり。信仰なき剣ほど折れやすいものはない。異教徒へ身を任せた報いをすぐに彼らは受けることになった。

 ペドローチェの戦いで完勝

この戦いのあとシモーヌはバルセロナにやってくると、そこへカスティーリャ女王を呼びつけてアラゴン旧領すべての返還を求めた。モンフォールの女王を恐れ嫌っていたアラゴン諸臣も、彼女が彼らの諸権利を取り戻したことで平服するようになった。

イベリアにやってきてからおよそ7年。全てがシモーヌの思うままだった。ペストに比べれば、人の王国のなんと御し易いこと。

あっけない幕切れ

イベリア半島東岸を手に入れたシモーヌは、地中海で比類なき地位を手に入れるに至った。いずれこの海はすべてシチリア王国に属するだろう。

ペストが過ぎ去ってようやく、かつて夢見た黄金のアジア航路を切り開くにふさわしい王国を築いたのである。塵は塵に、灰は灰に。しかし灰より芽吹く草花もあるものだ。

我々の海だ!
マヨルカ・サルディーニャ・シチリア所有で
アンロックされるディシジョンを実行する

地中海全域のCBと
強力なバフを手に入れる

ただの史実アラゴン連合王国に
ちょい乗せしただけに見えなくもないが…

ひとつの時代

主の年1435年、ブルターニュはゲランドの城にほど近い浜で、今日も海塩を採る職人たちが額に汗して働いていた。天気は明朗で、波が陽の光を弾いて輝いている。

昼下がりになって、そのうちの一人が外海に大きな影を見つけた。最初は島かと思ったが様子がおかしいと騒ぎ始めた。

「ありゃ…軍船だ、とんでもなく大きいのたくさんだ! 代官様に知らせを出せ!」

彼らは大慌てでゲランド城の代官所へ、それから代官はもっと慌ててブルターニュを預かるギョーム・ド・モンフォールへ使いを出した。

老ギョーム
この後すぐに亡くなった

「申し訳ありません陛下、イングランド船だと代官も思い違えたようでして…」

「やれやれ、とんだ騒ぎで出迎えられたものですね」

おおよそこの頃のシモーヌ
最愛の夫を亡くしたばかり

港へ付けた軍船から降りてきたのは、黒い喪服に身を包んだ女王シモーヌだった。ナポリより将軍らに外交官などを引き連れて、4万もの軍勢を整えてブルターニュへやってきたのだ。

彼女を出迎えた老ギョームの脇には、仕立ての良いマントを羽織った恰幅の良い男が一人。分厚い外套で隠れてはいるが、背曲がりであることが明らかだった。

ウード・ド・ブルゴーニュ
アルトワ伯にしてブルゴーニュ公
独立フランスの最後の王、
ウード1世の末裔

「お初にお目にかかりますな女王」

「さてアルトワ伯殿、共にイングランド王の鼻をあかせてやりましょう」

アルトワ伯は北仏諸侯を糾合し、イングランド王との戦端を開いたばかりだった。シモーヌは彼と手を結び兵を送ったというわけである。

北仏大乱
アルトワ伯率いる公益同盟には
オルレアン公、フランドル伯、
アランソン伯など名だたる諸侯が加わった

嫡男のシャルルに
アルトワ伯の娘ジャンナを嫁がせて
同盟参戦する

これまでイングランド王によるフランス支配は基本的には驚くほど安定していたが、先だってエドワード6世が「謎の死」を遂げてその子・幼君エドワード7世が立つと、情勢は急変したのだ。

アルトワ伯たちは幼君に対して臣従礼を拒否した。つまり独立戦争である。

幼君エドワード7世

正直なところ、シモーヌははじめアルトワ伯を支援するつもりはなかった。

モンフォール家は長らくもう一つのフランス王統にして今や神聖ローマ皇帝たるヴァロワ家の同盟者である。逆に、アルトワ伯の家系はその王位の簒奪者であるとみなされていた。

しかし、この時のヴァロワは混乱していた。

名君・シャルル2世の死
彼は欧州の良き調停者であり
フランス王請求権を最期まで行使しなかった

ドイツにヴァロワの根を張った皇帝シャルル2世は逝去し、彼の持っていたフランス王への請求権は完全に失われた。

もはやヴァロワがランスの大聖堂で戴冠することはあり得ない。それを目の当たりにするという、モンフォールの夢は絶えた。

フィリップ2世
神聖ローマ皇帝
故シャルル2世の次男で
長男ルイ王の死後に後継者となった

シャルル1世
ポーランド及びボヘミア王
ルイの長男でシャルル2世の孫にあたる

それどころかシャルル2世の死後にヴァロワ家は皇帝家とポーランド王家の二つに分裂した。彼らは皇帝位をめぐって反目し合っていたのだ。

ヴァロワ家系図

実際に両者は戦争にまで至ってしまった…

シモーヌは彼らの間に立って何枚もの書状を送って諸都市を周り、両者が矛を収める仲介を行ったのだ。女王の努力がなければ帝国は本当に分裂していただろう。ヴァロワはフランスの混乱を収める状況にない。

そういうわけで、シモーヌが今イングランドに打撃を与えるならば、アルトワ伯と結ぶ他なかったのだ。

カペー統の当主としてヴァロワ家の内紛を収めさせた

さて、こうしてシモーヌは軍を伴ってブルターニュにやってきたわけだが、宿敵たる英仏二重王国は驚くほど弱体であった。彼らがフランスの地で動員できたのはおよそ三万ほどで、一方シチリアと北仏諸侯の連合軍は八万を超えた。

そして、連合軍はシャロンの地でイングランド軍を捉えた。

シャロンの戦い

あっけない勝利だった。

この戦いでシモーヌは珍しいことに、戦場に立ち会っていた。彼女の治世で初めてのことだったので将軍たちは不思議がった。

黒衣の女王は大変目立ち、彼女の評判の美貌を一目見ようと雑兵たちが群れを作ったが、彼女は決して顔のベールを上げず彼らを落胆させた。

「私のような老耄を見ては兵士たちも勇むことはできまいが、ベールに隠された美女のためなら喜んで戦うだろう」

じじつ彼らは奮戦し、イングランド軍を散々に破ったというわけだ。

”輝かしき”美女も齢五十を超えて
随分と老いた

「イングランドとは、こんなものなのか」

女王は幕舎で呟く。かつてアルテュール王が死に物狂いで手にした彼らへの勝利を、女王は容易く二度も手に入れた。

ヴァロワをドイツに、モンフォールをナポリに追い出したイングランド。その衰退はひとつの時代の終わりを示していた。陽は昇れば沈むもので、日が沈めば一日が終わるのは当たり前のことだ。

何度目かのパリ占領

シチリア軍はそのままパリを占領し、いくさの始まりから2年ほどで和平条約が結ばれることになった。

北仏諸公は臣従を免除され、独立した公国となった。フランス人たちはイングランド人による支配が絶対のものではないのだと、この年思い出すことになった。

勝利

モザイク状となったフランス
アルトワ伯の広大な領地が目立つ

主の年1436年のことである。イングランド王エドワード3世がフランスの地に降り立って以来、100年の時が立とうとしていた。

この新しい時代に太陽がいずこから昇るかは、いまだわからない。

 

〈完〉

 

完結時点でのシチリア王国
地中海の枢要部を支配した

シモーヌ1世
偉大なる女王
1437年の世界

ヨーロッパ世界

シチリア王国を除くと欧州には二つの大国が存在します。

中欧に君臨する神聖ローマ帝国は、モンフォール家の同盟者・二つのヴァロワ家が治めています。とにかく頼れる相方でした。

神聖ローマ帝国

皇帝フィリップ2世
父に似て調和を愛する皇帝

ポーランド=ボヘミア王国

その王シャルル1世
実力では遥かに皇帝家を凌ぐ

もう一つは何といってもイングランド=フランス二重王国。本AAR最大のライバルでした。彼らからフランス王位をはぎ取りたかったが…。

イングランド=フランス二重王国

エドワード7世

さらにほか新興国としてボスニア王国も欠かせません。ハンガリーを併呑しただけでなく、一時はセルビア王位に手を伸ばしかけました。

ボスニア王国
北部ではハンガリー貴族が独立を図る

ヴラトコ2世
親子二代でハンガリーを制した名君

また一時期はシチリアの侵攻に悩まされたビザンツ帝国も命脈を保っています。ヨーロッパ側領土が広げられないとみると、小アジアのトルコ人たちを破って領土を広げました。

ビザンツ帝国
不屈

マヌエル2世
偉大な男だった

*1:今回が伝染病DLCの初プレイなのでシステムを完全には理解していないが、これらの政策でプロビの伝染病耐性を上げて蔓延を防ぐのだと思われる。

素晴らしきシモーヌのこと①(1405~1417年)

女王の戴冠

1407年ヨーロッパ
アルテュール王の死から2年

壮麗な棺がナポリの街を行く。自慢の青い空も赤レンガの街並みも、この日だけは色あせているようだ。棺の中で眠るのは、アンリ・ド・モンフォール。アルテュール王の嫡孫、早世した王太子ロベールの子。ナポリの王たる少年だった。

長く、長く続く葬列が少年の死を悼みながら行く。

アンリ王
今は亡き王太子ロベールの子
祖父アルテュールのあと王位についていた

転落死だった
わずか10歳の死

あれは、大層かわいい子だった。母親似の赤毛が愛らしく、ひとたび笑顔になればどんな癇癪持ちだって心和らぐ。モンフォール家が食卓を囲めばいつだってあの子が話題の中心だった。それが。あんな小さいのに、死んだなんて。

葬列は静かに歩みを進める。その先頭には王母のセシリア。"カタロニアの花"と謳われた美貌も血の気を失い、今にも倒れこみそうだ。

王母セシリア
夫の王太子ロベールは死んで未亡人だ

それを傍で支える、より一際目を引く美人が一人がいる。

こちらはまだ年若い。この女がこたび新たに王となる、シモーヌ・ド・モンフォールである。アンリの姉で、王太子ロベールの長女だ。

女王シモーヌ
アルテュール王の孫
この物語の新しい主人公
頑固なまでの公正さと野心を抱える

髪色は王母セシリアと同じ栗色、しかし顔貌はどちらかといえば美人揃いだったアンジュー家の女たちの血を感じる。頬は青白く湖面のようで、瞳はそれを照らす月光である。名うての吟遊詩人にすら形容し難い美貌である。

その系譜
モンフォール家はアンジュー家と
婚姻を重ね半ば同族化していった
シモーヌの夫もターラント家の出
(のちに実際家名を変えます)

新しい紋章
モンフォール家の白貂柄と
アンジュー家の百合とエルサレム十字を
インペイルメントした

彼女の後ろには王家一門のギョーム伯と、ルイ伯がつづく。それぞれ亡き王アルテュールの次男と三男。つまりアンリとシモーヌの叔父にあたる。

ギョーム
マイエンヌ伯
正義伯と呼ばれ実直で公正な男

ルイ
フォッジア伯
野心溢れる軍人肌

ルイ伯はいかにも不服そうに剣を鳴らしながら、姪シモーヌに語りかける。

「一体これからどうするんだ。モンフォール家はこの王国じゃ余所者だ。その当主は強くなきゃとても渡り合えない…やはり王にはギョーム兄が相応しいんじゃないか」

やめんか、と制するのはギョーム伯。

「何度も話し合っただろう」

「いや兄上、そうはといっても諸侯がだなぁ……」

ルイ伯の言うように
早くも王国解体派閥が動き始めていた…

シモーヌは叔父ルイ伯をにらみつけ、ぴしゃりと言う。

「女には女の強さというものがございます」

口の扱いではシモーヌに敵わないと知っているルイ伯は、思わず言葉に窮するが…。

「…しかし、どうやるってんだ」

「見ていてくださいませ、叔父上」

切り崩し

まず女王となったシモーヌが行ったのは、徹底的な懐柔であった。彼女は王国の反王勢力の領袖の一人であるフランチェスコ・サンセヴェリーノを王国大法官の地位につけた。

フランチェスコ・サンセヴェリーノ
マルシコ伯
人呼んで陽気伯

宰相職に
これによってフランチェスコは派閥から出る

さらにパレルモ島で最大の勢力を誇り、かつてこの地の王家であったトリナクア家の当主、ウゴ善良伯には狩猟長の官職を与えた。

ウゴ・ディ・トリナクア
トリナクア家はバルセロナ家の支流で
故アルテュール王の征服までパレルモを支配した

こうした動きに両者はすぐさま平服した。フランチェスコ伯は大法官として他諸侯の懐柔に務めたし、ウゴ伯は狩猟長を任せられるとすぐに上等な猟犬を連れて宮廷を訪れ、新女王シモーヌへこれを献上した。

シモーヌはウゴ伯の贈り物に
150万リーヴルもの返礼を行った
良き猟犬と、平和はそれに値する

「忠勤に感謝します」

亡きアルテュール王がかつて編ませた「助言者に囲まれる王」のタペストリの前で、女王シモーヌはこの老人から手にキスを受けた。

見え透いた利益供与はすぐさま効果を発揮した。王国の蠢動は収まり、女王の支配を受け入れた。もとより諸侯たちがモンフォール家の支配を覆そうとなどしていないことをシモーヌはわかっていたのだ。

王国解体派閥の解体

彼女が夫であるターラント公アントワーヌとの間に子を成すと、諸侯らはもろ手を挙げてそれを祝福した。

女系結婚で無事後継者も設けた

アントワーヌ・ダンジュー=ターラント
シチリア共同王にしてアカイア公
統治者としては二流だが、良き騎士で良き夫だった

「…俺が間違っていたようだな」

これには強情なルイ伯も舌を巻くほかない。女王シモーヌの微笑みに膝を屈さぬ男たちはいなかった。

美貌による評価ボーナスは彼女を助けた

東へ西へ

シモーヌは詩文を書き、庭園を自ら整えることを好んだ。また学者たちを盛んに支援し、彼らは女王の元で古典文芸、古典学芸の復興に励んだ。

ナポリへとイタリア中の賢人が彼女のパトロネージュを求めて集う。失われたローマの英知がそこでで再び花開いたのだ。

ルネサンスの始まり

シモーヌ自身も詩を嗜むことで知られた

こうした宮廷の空気はシモーヌの海への関心を高めた。学者たちに言わせれば東方世界には知恵と富が眠り、そして大西洋のはるか西を行けばそこへたどり着くという。イタリアの諸共和国どもを出し抜き地中海をわが物にすれば、その権益はシチリアのものになるかもしれない。

はるかアジアを目指して

もとよりブルターニュ人は海の民だ*1

この後じっさいシモーヌは盛んに外征に励んでいく。ギリシャへの出兵もその一つだ。

アテネ攻囲

主の1410年のこと、シモーヌはかつてアテネ公であったルッジェーロ公を支援し、その地位を回復するとしてビザンツ帝国へ攻め入った。

ルッジェーロ公
バルセロナ家の分家である
ネオパトラス家の男

広大な請求権を彼は持っていた

弱体化の一途をたどっていたビザンツ帝国にこれに抵抗する力は残っておらず、シチリア王国の宗主下のもとでアテネ=ネオパトラス公国が建設されることになる。

ギリシャ枢要部の支配
アルテュール王のビザンツ政策を
シモーヌは部分的に引き継いだ

シモーヌは取って返すように今度は西方へと兵を送る。イベリア半島でのアンダルシア十字軍である。

アンダルシア十字軍

イベリア半島最後のイスラム勢力であるナスル朝を、いつまでたっても攻めぬカスティーリャに業を煮やした教皇は、諸侯を募って十字軍を発したのだ。

シモーヌは自らの名代として、王配であるアントワーヌ公を送った。名目上のエルサレム王である彼はエルサレム十字に身を包み、カブラの地での決戦で大いに戦った。

十字軍騎士としての夫アントワーヌ

カブラの戦い
キリスト諸侯軍は決定的勝利を収めた

この決戦で諸侯をまとめ上げた、カンタブリア公アルフォンソは類まれな人物である。道化の姿で馬に跨り、数多の異教徒たちを殺した。この物狂いの哀れな男は、自らの罪を贖うためにいかなる十字軍戦士よりも働いたのだ。

アルフォンソ不肖公
カスティーリャ王家に連なる男だが
自分の息子を殺し道化に身をやつした狂気の人
しかし弁舌巧みで明朗な饗宴家でもある

しかし、これはモンフォール家の物語であるから端へ置こう。いずれにせよナスル朝は消え失せイベリア半島がすべてキリスト教徒のものとなったということである。

成立したアンダルシア王国
アルフォンソ不肖公の甥が王位についた

ヴォクラールの戦い

主の1412年のこと、十字軍が終わってすぐ。ブルターニュより知らせが女王のもとへ届いた。かの地を任せられている叔父ギョーム伯からだった。

「シモーヌ、イングランドが動いた。すごい軍勢だ、連中は本気だぞ。至急兵を送ってくれ」

いよいよイングランド王国による
ブルターニュ侵攻

エドワード5世
イングランド=フランス王
野心家の醜男

ついにか…いずれはこうなることは分かっていた。

イングランドとフランスを遮るように位置するブルターニュ領。旧フランス王家ヴァロワ家との蜜月。全てがプランタジネット家を苛立たせる。いつかは決着をつけねばならなかったのだ。

かの王国は極めて強大だ。ギョーム伯曰く敵勢は5万近いという。しかし、この時のためにアルテュール王の遺した財産が生きるのだ。

ヴァロワ家に助勢を頼む
モンフォール家はカペー統の長である

「あなたの祖父君の恩を忘れたことはない」
シャルル2世
神聖ローマ皇帝
30年近く帝国を治める円熟した統治者

「共に戦いましょうぞ!」
ルイ・ド・ヴァロワ
シャルルの子で、ポーランド王

故アルテュール王が守ったヴァロワ家は、フランスの外で繫栄していた。シチリア王国は常に皇帝派に与して何度も彼らを助けてきた。「ヴァロワ無くしてモンフォール無し」は彼の言葉だ。

この戦いでは、ヴァロワがモンフォールを助ける番だ。

ヴァロワ家の強勢

ヨーロッパの趨勢を決める戦いだ

「あなた、必ず生きて帰ってきて。これが妻としての願い。そしてイングランド人に死を。これが女王としての願い」

女王シモーヌは夫のアントワーヌに兵3万を預けた。

「心得た」

アントワーヌは静かにそうとだけ答えてナポリを立つ。目指すはフランス東部。そこで皇帝軍とポーランド軍と合流し、パリへ進軍する。

しかし、アントワーヌは思わぬところでイングランド勢と遭遇した。彼らもそれを読んで東フランスへ兵を送っていたのだ。そこで図らずしも決戦となった。

ヴォクラールの戦い
最終的に6万と6万のぶつかり合いに
正念場だ

重騎兵1500、軽騎兵2500の騎兵隊がシチリア勢の主力だ。その後ろをブルターニュで鳴らしたクロスボウ兵2500が支える。対するイングランド勢はウェールズ人長弓兵3000が何よりの力だ。

「バカの一つ覚えめ」
フィリップ・ド・ブルルール
お雇いフランス人司令官
イングランド王のお気に入りだった

「重騎兵など長弓兵で串刺しにできる。連中、100年前にフランスで何が起きたか知らんらしい」

イングランド勢の中で嘲笑が巻き起こる。長弓兵の重騎兵に対する優位性は、エドワード不屈王がフランス征服の際に明らかにしたことだった。

しかし、アントワーヌは今回もそうなるとは思っていなかった。

シチリアの重騎兵
駐屯補正によって
360%ものダメージボーナスを持つ!

アントワーヌは慎重にイングランド勢をなるだけ平らな会戦地におびき寄せた。

「ポーランド人軽騎兵で長弓兵を脅かし、ドイツ人下馬騎士で槍兵を押さえつける。そこに重騎兵を突っ込ませろ!」

シチリア勢は地が割れんばかりの喚声を飛ばす。フランス語で、ブルターニュ語で、イタリア語で、ドイツ語で、ポーランド語で。その全てが同じことを意味していた。「殺せ! イングランド人を殺せ!」

そして実際にそうなった。

勝利
イングランド自慢の長弓兵は何もできず
重騎兵突撃に轢きつぶされた

イングランド司令官のフィリップ・ド・ブルブールは戦死。イングランド勢は東フランスを退かざるを得なくなった。アントワーヌはこれを追い、今度はフランドルで捉えた。

ここでも見事に破る

重臣ノーサンプトン伯を捕縛する大戦果

この敗戦に、エドワード5世は女王に1600万リーヴルもの賠償金を支払って和を乞うた。これは英仏王国の収入80か月分にも上る。

アントワーヌは女王に代わってこれを受け取り、停戦合意書にサインした。

イングランド王の屈服

しかし、金貨があまりにも多い。シチリア側の事務官だけでは手が足らないので、ノートルダム聖堂の僧たちまで集められ、一月ばかしかけて金貨を数えあげた。それからアントワーヌはパリ中の馬車を借り上げて、これをナポリに持ち帰った。

噂好きなパリ市民たちはこれを大いに愉快に思い、エドワード王を”女王陛下の金袋”と呼び、シモーヌ女王を”(金貨で)光り輝くシモーヌ”と呼んだという。

エドワードのあだ名
ちょっと嫌味なニュアンスもあるが、
本来は”金持ち”くらいの意味か?

奇しくも同時期にシモーヌもあだ名を得た
こちらも本来は”素晴らしきシモーヌ”か

シモーヌはアントワーヌを温かく迎えると、この土産話を聞いて声を上げて笑った。そして、「これは戦の褒美ですよ」とアントワーヌが遠征しているさなかに生まれた三女を抱かせてやった。そうしていると、王母のセシリアが私にも抱かせてと近寄ってくる。まだ年端もない娘達もそれに加わる。

アンリが死んでモンフォール家に沈黙が訪れ10年ほど。ようやくナポリ宮廷に笑顔が戻ってきていた。

1417年の世界
シチリアと神聖ローマの拡大、
そしてハンガリー=ボスニア王国の成立が目立つ

素晴らしきシモーヌのこと② につづく】

*1:しれっとガロ文化をアルテュール王時代に作っており、文化指導者をモンフォール家が務めています。ガロ文化はブルターニュとフランスの混合文化で、騎士道と海岸地域での戦闘バフを特徴とする海の戦士というべき文化になっています。

アルテュール狼王のこと②(1371~1405年)

ドイツ遠征

攻城機が唸りを上げ、飛び上がった巨石が城壁を貫く。ブルターニュ兵たちが喚声を上げて、崩れた壁の隙間を分け入る。アルテュールはその様子をじっくりと陣から見つめていた。

アルテュール3世
おおよそこの時期くらいのポートレート

主の年1371年、フランスとドイツの国ざかいルクセンブルクの地。ここをブルターニュ軍は攻めていた。義兄のノルマンディー公シャルル、つまり廃王シャルル・ド・ヴァロワのドイツ攻めを手伝うためである。

義兄シャルル公は
神聖ローマ帝国へ攻め込んだ
アルテュールも同盟に従い参戦

内乱を抱えていた神聖ローマ帝国は抵抗できず
諸市は落ちるばかりだった

シャルル公は母を通じ、前皇帝家であるルクセンブルク家の血を継いでいた。それを根拠として神聖ローマ皇帝位を請求したのである。

皇帝だって? フランス王の聞き違いか? 彼がイングランド王をフランスから追い出すべく立ち上がるものだとばかり思っていたアルテュールは驚いた。しかし、シャルル公の「より遠大な意志」を聞いてこれを助けることにしたのだ。

義兄シャルル・ド・ヴァロワ
フランスのかつての王にして現ノルマンディー公
かつての少年王は廃位を経て明敏な君主となっていた

「義弟殿よ、今はまだイングランドとことを構えるときではない。認めなくはないが奴らは強い。だがドイツ人らは分裂し、弱体だ。私が皇帝となりさえすれば、いずれフランスは熟れた果実のようにこの手に落ちるだろう。その時、私はかつての大帝の広大な領域を一つにするのだ」

夢物語だ。だが耳を傾けたくなる《力》フォルトゥナを、この男は持っていた。もしそうなればモンフォール家は強力な同盟者を得るだろう。

が、そうはならなかった。

哀れシャルル公は戦死したのだ。善き皇帝になっただろうに。運命とは水のようなもので、器からこぼれ落ちればもう戻ることはない。

まさかの若死
彼をランス大聖堂に連れて行く夢が…

しかし、アルテュールはこれで挫ける男ではない。シャルル公には一人息子の小シャルルがいた。この少年をアルテュールは見放すことができなかった。だってまるで、幼き頃の自分ような境遇ではないか…。

そこでアルテュールは今度は小シャルルのため、バストーニュの地で皇帝軍に決戦を挑んだ。

バストーニュの戦い
ノルマンディー=ブルターニュ連合軍2万と
神聖ローマ皇帝軍1万がぶつかった

大勝!

アルテュールはこの戦いで、見事にドイツ人に膝を屈させた。皇帝は抵抗を諦め、ヴァロワ家に帝位を譲り渡すことに決めた。

小シャルルはまずプラハでボヘミア王となり、未成年であったためローマ王としてまず認められ、その成人の暁には皇帝として戴冠することとなったのである。

小シャルル
神聖ローマ皇帝にしてノルマンディー公
父の廃王シャルルに似て聡明な子だ

ヴァロワはブルゴーニュに王位を奪われ、ブルゴーニュはイングランドに逐われ、その末にヴァロワは帝位を得たわけだ。まこと運命とは水のようなもの。溢れれば戻らないが、巡りに巡って流転するのである。

成立したヴァロワ朝・神聖ローマ帝国

さて、小シャルルの摂政には母であるペルネル・ド・モンフォール、つまりアルテュールの姉が就いた。

ただでさえフランス人の、しかも女の摂政に帝国諸侯のかじ取りは難しい。必然アルテュールは帝国の後見人として、ヴァロワ家を守らねばならぬ。そしてもちろん、アルテュールにとっても帝国との協調関係は欠かせない。

モンフォールなくしてヴァロワはなく、ヴァロワなくしてモンフォールはない。

摂政ペルネル・ド・モンフォール
夫の壮大な計画に振り回されて随分瘦せこけた

「姉上、次は私の番だ。一年だけ軍を休ませるとしましょう。その後ドイツ人たちの軍勢を借り受けたい」

「もちろん! でも、一体どこに兵を出すって言うの?」

「ナポリだ。私はナポリ王になる」

ナポリ戦争

ナポリ。麗しの国。

アルテュールが青春を過ごした地、妻マリーが生まれ育った地。王になるならばこの国の他はないとアルテュールは考えていた。競技場でマリーに誓った「王冠」に、彼女の故国のそれ以上にふさわしいものはないだろう。

かつてアルテュールを救ってくれた女王マリーは暗殺され、一人息子のロベール2世は国をまとめ切れていなかった。

ナポリ王国
プロヴァンス伯を兼ねるほか
第4回十字軍によって生まれた
ラテン=ギリシアに領地を持つ大国

ロベール2世ダンジュー
ナポリ王
アルテュールの義弟で
内乱を救ってやったこともあったが…

これにお墨付きを与えたのが他でもない教皇庁である。ナポリ王国は元来教皇党の地。そして東方帝国に抵抗するラテン=ギリシアの盟主である。そんな王国に、猊下は弱い王を望まれない。

教皇に訴えかけてナポリ王位を請求*1

主の年1373年、アルテュールは兵を興してナポリへ立つこととした。

彼の側に立ったのはもちろんヴァロワ皇帝家。それに新たに婚姻によって繋がったアラゴン王国だ。ナポリのロベール2世についたのは、トリナクア王とミラノ公とエピロス専制公。アドリア海とティレニア海が、敵と味方で相別れた。

ナポリ戦争
青がブルターニュ方、赤がナポリ方

アルテュールは南仏でヴァロワ軍と合流してイタリアに入るつもりだったが、そこに摂政ペルネルからの早馬が届く。

「アルテュール、まずいことになったの。対立皇帝を立ててポメラニア公が挙兵した」

ポメラニア公の反乱

無理もないことだ。

ヴァロワ家はよそ者で、しかもそのよそ者が皇帝についた途端出兵するというのだから、気にいらない諸侯もいるだろう。あるいはナポリのロベール王が唆したのだろうか…そこまで手が回る男には見えなかったが。

ともかくアルテュールはまずこの反乱に対処することとした。ドイツの軍勢とともにライン川上流の諸侯の諸市を落として回った。徐々に、南部の諸侯は反乱から離脱していく。

占領地の拡張

アルテュールの攻囲を解くべく、諸侯軍は決戦を挑まざるを得なかった。ヴァインハイムの地で皇帝軍と諸侯軍はぶつかり、再びドイツ人たちは膝を屈した。

ヴァンハイムの戦い

反乱諸侯は抵抗を諦めた

ドイツのことは姉ペルネルに任せると、今度こそイタリアに入る。緒戦の地はナポリ北方・ガエタの地。

アルテュールはそこへと敵2万を誘引すると、伏せさせていた帝国軍1万5千と共に挟み撃ちにした。なんてことはない、ヴァンハイムの繰り返しだ。

ガエタの戦い

ナポリの蓋は外れた。ブルターニュ人が、カタロニア人が、ドイツ人たちが洪水のように雪崩れ込む。ナポリもアマルフィもサレルノも南イタリアを飾る宝石たちは一挙に市門を開いた。

ナポリ勢は、狭い「ブーツ」の中を虱の如く逃げ惑うばかり。

ナポリ陥落
敵艦隊は幾度も上陸を図るもその度に蹴散らす

主の年1378年。ロベール2世はついに諦めて、アンジュー家伝来の王冠を差し出して慈悲を請うた。アルテュールは妻マリーとともナポリの大聖堂で聖別を受けて、その冠をかぶった。主に見捨てられた玉座のなんと脆いことか。

ほんの十数年前、偽修道士としてナポリへやってきた彼は、今度は王としてこの地に帰ってきたわけである。

玉座の二人
妻マリーとの約束は果たした

「アルテュ―ルさま、弟の処遇はどうなされるおつもり?」

「……決着をつけねばならないでしょうな」

パンティエーブル女伯の呪いの言葉が再び響く。《人の物が欲しくて欲しくて仕方ないんだ!》……妻マリーはアルテュールの苦悩を読み取って微笑む。

「私のことはお気になさらず。私たちにとって、あの子はきっと害になる」

そうだ先王ロベールはナポリ王国の殆どとサレルノ公位を保持したままである。しかも姉のメリュジーヌ、つまりナポリ戦争でロベールについたトリナクア王の妻を王位につけるべく早速策動していた。

彼を除かなければならぬ。願わくば永遠に……。

前王ロベールによる
ナポリ王位請求派閥

アルテュールは軍を休めることなく、今度はシチリア島に進軍した。ナポリ戦争は終わっていなかったのだ。先の戦いで既に傷ついていたトリナクア王国はほとんど抵抗することができず、全島がすぐに失陥した。

アルテュールの野心を挫くためにヴェネツィア共和国までもが敵についたが、勢いに乗った彼を止めることはできなかった。

鎧袖一触
ナポリ王位が魅力的だったのは
De jure請求戦争でこの動きができることもあった

トリナクア王にナポリを明け渡してしまおうという先王ロベールの不格好な陰謀は、これで成就しえない。

そしてアンジュー朝の創始者であるシャルル1世の治世のころ「シチリアの晩鐘」で分かたれた二つのシチリア王国は、アルテュールの手によってふたたび一つになった。

統一された両シチリア

フレーバー的にナポリ王国を
シチリア王国へ改名しておく

残るは最後の仕上げだ。

全ての望みを失った先王ロベールが慰みの酒に溺れている時、ワインへ毒が混ぜ入れられたのだ。哀れロベールは苦しみながら死んだ。彼には子がなかったので、アンジュー家の財産全ては女王マリーのものとなった。

暗殺
が、普通にバレる

アルテュールの陰謀の手によることは明らかである。「そこまで許した覚えはございませぬぞ!」教皇庁の使者はアルテュールの破門さえチラつかせた。しかし今やローマの北と南は我が勢力圏だ。文句は言わせぬ。

灯台のこちらと向こうの征服者。唯一にして正統なシチリアの王、アルテュール・ド・モンフォールに幸いあれ!

シチリア王としてのアルテュール

シチリア王国
当然ブルターニュもその領地

王として

嫡男ロベールとアラゴン王女セシリアとの結婚式はこのすぐ後のことだ。アルテュールはパレルモのノルマンニ宮殿を整えさせて、縁類を招いてこれを祝った。

ブルターニュから遷都できないので
パレルモに離宮を建てた
シチリア王としての居所のイメージ

王太子ロベール
女王マリー譲りの美男子
教育はそれなりだが良き君主になるだろう

その妻セシリア
アラゴン王女
夫とは趣きは違うがこちらもイベリア美人

また、甥の小シャルルも同じ頃に成人しており、祝いにパレルモへ訪れた。少年は気づけば弁舌爽やかな青年皇帝に育っていた。かつての主君の子の成長も見られて、この日はアルテュールにとって最良のものとなった。

「叔父上お久しぶりでございます」
シャルル2世
神聖ローマ皇帝
寛容、謙虚、物静かな好人物

王国内のアンジュー諸分家の者どもも祝いに来る。征服者であるアルテュールは彼らを厚遇し丁重に扱っていた。中でもドゥラス家、カラブリア家、ターラント家の者は国王評議会に席を与えられるか、あるいは未成年の者はいずれ与えられた。

いまやアルテュールとマリーはアンジュー家の家長でもあるのだから。

アンジュー諸家系図

国王評議会
アンジュー諸家には優秀な者も多かった

「諸卿、これを見てもらいたい。今日のために急ぎ造らせたのだ」

アルテュールは聴衆を集めて、大きなタペストリを広げさせた。一同から感嘆が漏れる。中心には玉座のアルテュール、傍には女王マリー。そしてそれを取り囲むようにシチリアの諸君公が織られている。

ブルターニュ以来の功臣、アンジュー諸家、旧トリナクア王臣らの姿も見える。ブルターニュ人、フランス人、イタリア人、カタロニア人……その全てが集っていた。

タペストリの絵柄選びで
妻と臣下たちを選ぶ

アルテュール王のタペストリ
助言者たちに囲まれるアルテュールを描いている

タペストリは王の治世を良く表している。彼は先王ロベールを謀殺して以降は、調和的な君主として振舞った。カタロニアやイタリアの言葉を覚え、諸侯の伝来の権利を殆ど変えず、陰謀に動いた家臣も最低限しか罰さなかった。土地台帳を作り収入を確保し、各地の街道や城を整備した。

気づけば彼の王位を疑う者はいなくなっていた。

カタロニア語の獲得
なお教師は旧トリナクア王家の出の男

請願で起きる土地台帳イベント
直轄領のコントロールが上がる

こうしてアルテュールが王国をまとめ上げると、その余力を東方へと向けることにした。シチリア王国伝来のビザンツ政策を復活である。

ノルマン人がこの地に王国を建てて以来、歴代の諸王は常にビザンツの征服を目指してきた……そして失敗してきた。ロベール・ギスカールもシャルル・ダンジューも。歴史に名高い男たちが成せなかった望みを、アルテュールは果たしたいと考えたのだ。

当時のビザンツ帝国

全ての富の在り処、コンスタンティノープル。第四回十字軍で傷ついてなお、彼の地は未だに輝きを放っている。かの地を征服し、正統なローマ教会の支配下に置く。その上でいずれは更なる東方…エルサレムへ。

アンジュ―家の家長はシャルル・ダンジュー以来
名目上のエルサレム王であった

主の年、1384年。アルテュールは自ら軍を率いて、ビザンツ帝国へ攻め込んだ。ドイツ勢も含めたシチリア王軍の数は五万にも及び、煌びやかな鎧で着飾ってアドリア海を超えた。

エピロス侵攻

この時のギリシャ人の皇帝はヨハネス5世。

彼は極めて精力的な、帝国の「修繕者」であった。セルビア王国を下し、ラテン人のアテネ公国とエピロス専制公国を滅ぼし、トルコ人たちの侵攻を挫いた男だった。彼は弟のミカエル・パレオロゴスを司令官とし防備させた。

ヨハネス5世
ビザンツ皇帝
偏執的なまでに精力的で頑固

死に絶えたかと思えた帝国は
彼の治世でもって復興期を迎えていた

シチリア軍とビザンツ軍は、帝国の東部国境で幾度も戦った。

名だたる都市という都市全てが攻囲を受け、あるいは奪還された。数で劣るビザンツ軍だったがシチリアの後背地をたびたび脅かし、アルテュールが首都コンスタンティノープルへ辿り着けぬように抵抗した。

しかし、そこを捉えられ会戦となった。

アンゲロカストロの戦い
シチリア軍5万とビザンツ軍2万5千がぶつかる

敵司令官ミカエル・パレオロゴス
兄ヨハネス5世を軍事面で大いに支えた男だった

それぞれが同じ主に祈り勝利を願ったが、数時間の喧騒ののちギリシャ人たちの軍勢が敗れたのは、その思し召しとしか思うほかない。

帝国自慢のカタフラクトは丘がちな地勢に戸惑い、アルテュールはそこへ弩弓の雨を降らしたのだ。潰走する彼らをアルテュールは軽騎兵でもって追いかけ回した。

勝利

帝国の屈服

これで帝国はエピロスを失陥した。

これまでヨハネス5世の賢政を賛美してきたギリシャ貴族たちはうって変わって敵となり、彼は宮廷の陰謀の果てに死んだ。後を追うように弟のミカエル・パレオロゴロスも病を得て亡くなる。あぁ、かくも移ろい易き《運命》フォルトゥナよ。

ヨハネス5世の死
ビザンツ宮廷の陰謀?

アルテュールはこの10年後に再び帝国へ侵攻し、容易く勝利しアカイアを得ている。英雄の死せる国のなんと惰弱なことか。ラテン=ギリシャ国境はおよそ半世紀ぶりに東方へ拡大したことになる。アルテュールの夢はいまだ半ば、だがもう半ばであった。

ギリシャ領を大きく拡大させた

奪う者と奪われる者

『ナポリはしっかりと私が守っております』

『ロベールはブルターニュでしっかりやってるみたい。孫のアンリの可愛さったら、ああ! あなたに早く見せてあげたいわ』

『陛下の勝利と、なにより健康を祈るマリーより』

《親友》マリー

アルテュールはシチリア王となってからそのほとんどを外征して過ごした。気づけば齢50を超えていた。ゆえに王としての執務はナポリに残る妻マリーと、息子のロベールの助けがなければ成り立たなかった。

老境のアルテュールとマリー
マリーは老いてなお美しい

マリーの助け
ヴァンヌの手工業に投資を促される

アルテュールはいつもやり取りする手紙に、彼女の献身を讃える詩を書いて混ぜていた。詩は読むばかりだったが、もっと早く覚えるべきだった。

陣中でも甲冑姿で詩を書く
カタロニア人に学んだ

この時もアルテュールは、フランスの地にいた。

主の年1400年、イングランド=フランス二重王国がシチリア王国のフランス領を攻めたのだ。いつかは彼らと決着をつけねばと思っていたが。甥の盟友シャルル帝やアラゴン王国も加わり、ヨーロッパ王侯の殆どが剣を取る戦いになった。

大いくさだ
係争地はフランスの寸土だが…

エドワード4世
この時のイングランド=フランス王
なにやら魔術に通じるとか
あるいはたぐいまれな賢人か…

これは長い戦になるぞ…そう覚悟を決めて、アルテュールは軍を率いていた。

聞けば領民は近頃自分を「狼」と呼んでいるとか。狼。ときに高潔で美しく、しかし狡猾で残忍。まさに奪い、殺して、生き続けた私にふさわしい添え名だと自嘲する。女伯を殺し、ロベール王を殺し、ヨハネス帝も私が殺したようなものだ。

だが奪わねばすぐに得たものが掌からこぼれ落ちていくように感じられるのは、未だ亡き母のことが頭を離れぬゆえか。そう、今もイングランド人が私の財産を奪おうとしているではないか。

人呼んで「狼王」
忌むべき、しかし強い添え名だ

そんな中、手紙が陣に届く。ナポリからだ。しかし妻マリーからではないという…不思議に嫌な気配がする。

それはマリーが帰天したという知らせであった。そんな馬鹿な。彼女は私の無事を祈るばかりで、自分の体のことなど書いていなかったではないか!

最愛の妻の死

遠征テントの中で一人嗚咽を漏らしていると、小姓がおずおずと入ってくる。今度はブルターニュからの知らせだという。いやだ。聞きたくない。

まさかの息子ロベールも…
恐らく母の死でストレスが突破したか

私の体の中央に埋めがたい穴がぽっかりと空いたような気分がする。いやそれは元から空いていたのだ。穴よ、私が生涯をかけて埋めたはずのもの。騎士道物語で、バイエルン人の友で、マリーで、子供たちで、王冠で埋めたはずの穴。埋めれども塞がれはしないもの。

だが戦場は憂鬱に浸ることを許さない。

イングランド人の軍勢が北に見えたと斥候が伝令する。喇叭が吹かれる。陣が動き出す。結局私にはこれしか残っていないのか。

シチリア軍はイングランド軍と決戦する
最終的に5万と5万がぶつかる

アルテュールは陣頭で自ら剣を取って戦った。「シチリアの狼だ、狼が来た」敵のフランス兵がおびえるのが聞こえる。敵の戦列が崩れる。そうだ私は狼だ。死が訪れるその瞬間まで奪って、殺すのだ。

ふと頭をよぎる、何度もこれまで聞いた女伯の呪いのことば。『人の物が欲しくて欲しくて仕方ないんだ!』。そうだ、だがそうせねば私は生きれなかったではないか!

戦場で過去の敵のことを思い出す
「もはや何も失うまい!」

トネロワの虐殺
歴史的な大勝を得る

主の年1401年のこと、イングランド=フランス王国が和を乞う形で戦は終わった。シチリアの勝利である。それを見終えるとアルテュールは妻のもういないナポリへ帰り、そのまま直ぐ卒去した。

敵にしてなんと恐ろしく、友にしてなんと頼もしい男だったか。彼の名で飾られた王国は孫のアンリが継承した。狼は死んだが、最後に毛皮を遺した。もはやなんびとも彼から奪うことはできない。

孫アンリが継ぐ
再びの幼君の登位

素晴らしきシモーヌのこと① につづく】

*1:妻マリーの請求権をロベール2世成人前に行使するという考え方もあったのですが、アルテュールの代で王になりたかったためこの形にしました。特にTLatLでは王号の効力がバニラより高いのです。

アルテュール狼王のこと①(1351~1371年)

少年時代

アルテュール3世
ブルターニュ公にしてモンフォール伯
母から継いだ聡明Trait

アルテュールは賢い子供だった。

亡父ジャン4世が見栄でこしらえた図書室は長らく埃をかぶっていたが、新しい主人はそこへ熱心に通った。母は厳しい人だったが、パリからいくつも新しい写本を取り寄せてくれた。

特にお気に入りはクレスティアン・ド・トロワのブルターニュもの物語。獅子を連れたイヴァン卿、素晴らしきパーシヴァル卿、美徳の騎士たちの大活躍!そしてもちろん欠かせないのが彼ら円卓の偉大な封主、古きブリタニアの王アーサー。

小さなアルテュールにとって、物語で語られる大王が自分と同じ名前を持つことはささやかな誇りだった。

忘れ難い母の死

アルテュールは賢い子供だった。

だから連れられていく母の叫び声を聴いた時も、そして彼女が処刑されたと聞いた時も少年は泣かなかった。泣けば、奴につけ入られるから。

母殺しのパンティエーブル女伯が新摂政に
従姉妹にあたる

パンティエーブル女伯が城に上がり込んで来ると、宮廷の全ては変わってしまった。城の侍女たちは花瓶の花一つ変えることすら女伯にいちいち伺いを立てる。召使たちはどこか皆よそよそしい。

アルテュールは自らの居城で独りぼっちになった。彼を慰めるのはただ物語だけ。

当の母殺しが摂政なので
投獄することもできない

そんな幼い公を哀れに思ったのが、レンヌ司教のルドルフ・フォン・アーベンベルクである。

ルドルフ・フォン・アーベンベルク
レンヌ司教
傲岸な男だがそれに見合う学識の持ち主

司教はアルテュールを城からよく連れ出した。行くのは決まってレンヌの市の聖堂。礼拝のあとで陽が落ちるまで神学について論議するのが、少年の新しい日課となった。

「殿下は唯一正統なブルターニュの主。その権利はキリストの騎士としての奉仕と、神の恩寵にのみ依るのです。摂政殿などに依ってではありません」

「はい、司教様。きっと全てを取り戻して見せます」

ルドルフとの対話
嬉しい性格決定イベント
野心的Traitを得る

聖堂の一角で聖アウグスティヌスについて論じ合っている時、アルテュールは城の鬱屈とした日々を忘れることができた。ルドルフは少年をあくまで一人の友人として対等に扱ってくれる、そんな大人は初めてだった。

このバイエルン人の意固地で気ままな風情をアルテュールは気づけば好ましく思っていた。

その後同じイベントが再び起きて
熱心Traitを獲得
更にルドルフとも友人に

そんなある日、ルドルフはいつになく真面目に言う。

「もう殿下はブルターニュを出なさいませ。ここは危険だ。レンヌにさえパンティエーブル党の影が濃くなってまいりました。」

「…一体どこへ行けば?」

「パリはダメです。まだまだ戦争で大騒ぎだ。ドイツは退屈ですよ、バイエルン人の私が言うくらいには。ナポリにいたしましょう」

「ナポリ?」

「当代のナポリ女王はカペーの家の出、殿下の血族。きっと世話をしてくれるはずです」

ナポリ王国
イタリア随一の大国

マリー・ダンジュー
ナポリ女王
絶世の美女で謳われた

「私は若い頃にナポリ大で学んだことがあります。通えるよう紹介状を書きましょう。逃げるだけじゃなくて学ぶんですよ。それも一介の少年修道士に化けて…心躍りませんか?」

ナポリ大学
ヨーロッパでも古い伝統を持つ大学の一つ

大学。ルドルフの意外な提案に、少年アルテュールの胸は高鳴った。城の蔵書はとっくに読みつくしてしまっていたところ。それに身分を隠して学生たちに紛れ込むなんて、まるでエレイン姫と出会う時のランスロット卿みたいだ!

アルテュールは快諾し、司教の手引きでブルターニュを離れることになった。いざ、花のナポリへ。母を亡くして以来曇っていた心に、ようやく光が差したように少年は感じていた。

ナポリ女王を後見人にする
大学はかなりの費用だが
教育に大きなボーナスが入る

青年の帰還

主の年、1355年。少年アルテュールがブルターニュを出て4年経ったとき。彼はナポリ遊学から帰る事になった。友人のルドルフ司教より、反乱が起きたと手紙が来たからだ。

前女公のブランシェの挙兵である。

ブランシェ女公立つ
戦力差に注目

ブランシェは公位を失ったとはいえブルターニュにおいて最大の領主であり、公軍の二倍以上の兵を擁していた。

そしておそらくは、あのパンティエーブル党の支援を受けている。彼女の婚約者、ギィ・ド・シャティヨンはパンティエーブル女伯の息子だったからだ。女伯は今回の反乱には公然とは加わっていなかったが…。

ドルー=ブルターニュ諸家の系図
ライバルが手を結んでしまった…

そこでアルテュールは女王マリーに助けを求めることにした。

彼をかわいがっていた女王は、同じ名を持つ娘マリーとアルテュールを婚約させることにした。そしてナポリ兵1万を連れて、親征してくれるのだという。これ以上にない申し出だ。

王女マリーとの婚約
カペー一族の名声が結婚に大きな補正をくれる

同盟参戦も快諾
「ナポリ兵の恐ろしさを知るがよい!」

ナポリ軍とブルターニュ軍は合流し、反乱者の軍勢とぶつかり合った。デルヴァルの丘で味方1万5千と敵方6000が陣を敷いた。会戦である。

デルヴァルの戦い

ブルターニュ兵を率いるのは義兄のオリヴィエ・ド・クリッソン。亡き母が見込んだ少年は、公国で一番の騎士になっていた。彼は自慢のクロスボウ兵を率いて反乱軍を叩きのめした。

「あれこそ我がケイ卿だ!」陣で見守るアルテュールは喝采する。

大勝
ナポリの重装騎兵も活躍した

オリヴィエ・ド・クリッソン
義兄にして若き元帥、そして最良の騎士

デルヴァルの戦い以降は反乱軍の勢いは明らかに減じた。前女公ブランシェの座すヴァンヌの街も陥落し、ブルターニュの全土の支配権を少年アルテュ―ルは回復した。

反乱鎮圧

「前女公を牢から出してはなりませぬぞ、あれは危険だ」

久しぶりにあった友人のルドルフ司教は、そう助言する。

確かにそうだ。権勢などナイフ一本で覆せるのだと、私はこの国で誰よりもよく知っている。実際もしアルテュールが死ねば、従姉妹のブランシェはうってつけの後継者になるだろう。*1

「反乱の咎だけで剥がせるのはたかだか1~2領。それではブランシェ殿の力はあなたを上回ったままでしょう。そこでまずはこれを使いませ」

彼の手には数枚の証書が握られていた。

ルドルフによる請求権捏造

亡き母生前からコツコツ請求権を貯めていた

「そして、前女公を牢に入れたままこれを繰り返すのです。彼女の領地は20はありますから時間はかかるでしょうが」

助言通りアルテュールは、前女公からヴァンヌとその周辺を剥奪した。そして主の年1359年、アルテュールは成人し公として政務を始める事を宣言した。

いまやアルテュールは一人前の公、一人前の騎士となっていた。

熱心で野心溢れる不世出の戦略家に
大学での教育が功を奏した

その領地(緑が直轄領)
公国の東南部を中心に地盤を固めた
ブルターニュの中心地ヴァンヌを首府に

公国の掌握

アルテュールは成人してすぐにバチカンへの巡礼を行った。

「敬虔な巡礼」を選んで少しでも信仰点を稼ぐ

ルドルフ司教などが同行し、公はアルプスを越えてイタリアに入った。司教はすでに老境に差し掛かって久しく、この巡礼は彼にとっても悲願であった。

老いていく友人を見るのは辛いものだ…

アルテュールはイタリアで多くのことを得た。古いラテン語の神学書と訳したり、地元の聖所を訪れるなど経験を積む。

そして何より、彼は善きキリスト者としての比類ない評判を集めることに成功した。

すべてのリソースを信仰点につぎ込んだ
フォーカスも神学に振って少しでも増やす

バチカンにたどり着き教皇との接見を許されると、アルテュールはブルターニュの窮状を訴えた。

「前女公ブランシェは魔女の類であり、破門に値します。彼女の私領は公たる私めが治めるべきです」。これに教皇はうなづく。

幸いブランシェの魔女疑惑が発覚し破門に
信仰点でも請求権を得ていく

「また摂政のパンティエーブル女伯は我が母を殺し、ブルターニュを恣としております。彼女より統治を取り戻さねばなりません」。これにも教皇はうなづく。

ここでも信仰点を使って
摂政から権力を奪っていく

こうした教皇の後援に焦りを感じたのか、摂政パンティエーブル女伯が”ボロ”を出す。彼女が公国収入の一部を横領していたことが発覚したのである。

アルテュールは帰国すると、すぐさまパンティエーブル女伯は捕らえ摂政権を剥奪した。こうして彼は名実ともに公国の唯一の統治者となる。

主の年、1361年のことであった。

通常なら定着した摂政は捕縛できないが
横領発覚から派生するイベントでは逮捕できる

早くも定着した摂政制を終わらせることができた

アルテュールによる公国掌握の動きは、その後1364年には完遂することになる。パンティエーブル党の領地は全て没収されて、ブランシェ前女公はイングランドへ追放処分となっている。

だが全てが終わっても、女伯だけは決して牢獄から出さなかった。

囚われの女伯

「やはりあんたはあの女とそっくりだ! 簒奪者の穢らわしい息子め! 篤信など見せかけで、人の物が欲しくて欲しくて仕方ないんだ!」

呪いの言葉を吐く女伯の首を、何度も何度も切り落とそうかと思った。もう母の名を汚させないように。でも、できない。手を下せばこの女と同じになる。

女伯の死
親族殺しtraitがつくのが嫌で獄死させた
脱出イベントが起きる度に捕縛しました

結局パンティエーブル女伯は、その最期まで獄中に繋がれて惨めに死んだ。母ジャンヌが殺されてから、もう10年以上の時が経っていた。

ブルターニュのほぼ全土を直轄化
ひたすら信仰点を貯め請求権を取りました
8000以上は信仰点を使ったはず

公を長年支えたルドルフ司教も同じ頃に卒去している。アルテュールの古い敵も、古い友人も去ったのだ。時代は移り変わろうとしていた。

貪欲なふたり

競技場に押し寄せた群衆の歓声が大地を揺るがし、楽隊の喇叭の音が空をつんざく。

1367年、フランスはノルマンディーの地。そこで開かれたトーナメントは、馬上槍試合の決勝戦を迎えようとしていた。

トーナメント
イングランド海峡に位置するチャンネル諸島で開催された

実を言うと、つい昨年フランスとイングランドは干戈を交えたばかりだった。しかもイングランド王エドワード3世がブルゴーニュ朝を打倒し、新たなフランス王として戴冠したばかり。

今回のトーナメントは、新たに成立した二重王国の両国の騎士が出場する、親睦の意味を兼ねたものであった。

エドワード不屈王
イングランドおよびフランス王
イングランドを勝利に導いた偉大な英雄

成立してしまったイングランド=フランス二重王国
極めて強大

しかしそんな題目はともあれ、フランス人たちは面白くない。イングランド人騎士らはどうも威丈高だ。ここでは連中の鼻を明かしてやろうと躍起になったが、おしくも今回のトーナメントでフランス人たちの成績は振るわない…。

そんな不穏な空気の中で、一人の紋章官が貴賓席の前に颯爽と現れて、口上を述べ始めた。

「ご列席の貴人貴婦人のみなみなさま、お静かにお静かに! さぁ誇りをもってご紹介いたします! 我が主人は鳥に例えれば鷹、木々に例えればレバノン杉、天体に例えれば太陽にございます! シャルル大帝の裔にして、かの大ブリテンの王と同じ名を持つ、騎士の中の騎士! ブルターニュ公爵、アルテュール……ド・モンフォーーォル!」

白貂柄の紋章を身に着けて、騎乗のアルテュールが競技場に入場してくる。彼は並みいる騎士をうち倒して決勝まで駒を進めていたのだ。

騎士姿のアルテュール

フランス人だ。我らが代表だ。必然、歓声は割れんばかりとなる。

そんな会場の熱気を尻目に、アルテュールは貴賓席に向かって手を振っていた。その先には貴賓席の中でひと際目を引く麗人が座っている。白い肌はシルクを思わせ、赤い頬は花びらのよう。

名をマリー・ダンジュー。ナポリ王女にしてアルテュールの妻である。

かつて婚約したマリーが正式に妻に
美人traitの持ち主
執念深く嗜虐的、そして野心を秘める

旗振り役が合図する。いよいよだ。アルテュールは馬を走らせ始めた。トロット、そしてギャロップへ。ランスを留め金と脇でしっかり締める。相手のイングランド人騎士とすれ違ったその瞬間、こちらの槍が敵に突き刺さり、砕けた――命中だ!

優勝!
ゴールドと威信点を稼ぐ

観客たちがワッと湧く。アルテュールは賞品の指輪を進行役から受け取ると、そのまま貴賓席へと駆け上がって妻マリーの前に跪いた。

「我が勝利をあなたに捧げます」

差し出された指輪をマリーはしげしげと見つめ、受け取る。

「私、欲張りなのです。これでは足りません」

意地悪に微笑むマリー。アルテュールもつられて笑みがこぼれる。お互いナポリ育ちで、満足を知らぬところがそっくりだった。

たかがブルターニュ一つ、あるいはトーナメントの作り物の栄光で、足りる二人ではない。より高みへ。私たちならばいけるのかもしれない。不意にパンティエーブル女伯の呪いの言葉が脳裏に浮かんだが、アルテュールは振り払う。

「ならば次は、王冠を」

アルテュールは、マリーの手の甲をとってキスをした。を見た群衆らの歓声はより一層大きくなっていて、いつまでも終わることがなかった。*2

その後も機会を見つけてアプローチし
無事友人となった
マリーがアセクシャルなので魂の伴侶にはなれない*3

似た者夫婦
このあたりからアルテュールは髭を蓄える

 

アルテュール狼王のこと② につづく】

*1:軽率にも姉妹を通常結婚にしてしまったので、子供ができるまでにアルテュールが死ぬとほとんどゲームが詰んでしまう!

*2:単純にトーナメントあんまやったことなかったので出たかっただけなのですがジョストは危険なので避けるべきでした。ただ一応少しはちゃんとしたゲーム的な理由もあるので後述するつもりです。

*3:ゲーム的に言えば、出産確率を向上させるアーティファクトが余ったので妻にあげてブーストする…という狙いの動きでした。あと友人が妻だと時々良いイベントを引いたり、摂政として良く働いてくれます。ちなみにアセクシャルな配偶者は出産確率が多分低いのですが浮気しないので、浮気不倫が地雷の私的には結構助かります。

摂政ジャンヌ・ド・ダンピエールのこと(1344~1351年)

三人のジャンヌの戦争

アルテュール3世
ブルターニュ公にしてモンフォール伯
ドルー=モンフォール家の公としては二代目

ブルターニュを相続した時、アルテュールはほんの幼子であった。

父ジャン4世は剣によって公となり、その栄光を身に浴す間もなく死んだ。主の年1344年のことである。

その領地 ブルターニュ公領
白色が公直轄領

摂政として、公母のジャンヌ・ド・ダンピエールが領邦を治めることになった。最愛の夫を亡くした悲しみを受け止める時間は、彼女に残されていなかった。

ジャンヌ・ド・ダンピエール
ブルターニュ公領摂政
フランドル伯ルイの妹

剣によって得られた座は、剣によって脅かされるものだ。

かつてはジャン4世と共に戦った貴族たちが、今度は彼の子を引き摺り落とすために剣を取った。貴族たちが新たに公に就けようとしたのは、公家傍流のパンティエーブル女伯とその夫シャルルである。

ジャンヌ・ド・パンティエーブル
パンティエーブルおよびリモージュ女伯
アルテュールにとって従姉妹にあたる
傍らにいるのがシャルル

ドルー=ブルターニュ諸家の系図

パンティエーブル党は、アルテュールの母で公国摂政であったジャンヌ・ド・ダンピエールに公座を明け渡すように迫った。不道徳と変わり身が彼ら貴族の常である。

早くも簒奪派閥が立ち上がる

ただの寡婦ならば身を引いただろう。高等法院に遺産を保護してもらうよう何枚か手紙を書いて、あとは亡夫の魂の平穏を祈る修道院暮らしだったろう。子も一介のモンフォール伯として生を全うしたかもしれない。

しかし、摂政ジャンヌはただの女ではなかった。獅子の心の持ち主。ナントからブレストにかけて一番の女。断固として反逆者たちを討つことにした。

「あえて、パンティエーブル党の者らを切り崩しはしませぬ」

「何故でございましょうか」

軍議

いざとなれば矢面に立つ麾下の騎士たちが不安そうに尋ねる。主人を失ったゲランドの城の領主の間で、摂政ジャンヌを囲みモンフォール党の者たちが顔を寄せあっていた。幾許かの小貴族と司教らである。

「戦になれば、亡き夫が雇い入れたイングランド傭兵が使える。戦が二年後三年後となっては遅いのです」

「なるほど…」

先の継承戦争で使った傭兵
雇用期間がまだまだ残っている

「しかしそれでも兵が足りませぬぞ、パンティエーブル党も兵3000は出せましょう。当方とはあくまで互角。いや騎士が少ない分不利だ」

「そこは我が兄上、ルイ伯を頼ります。フランドル兵が加われば7000は固い」

「おお!フランドル伯がご参戦なされるのか!」

ルイ・ド・ダンピエール
フランドル伯
ジャンヌの実兄にしてアルテュールの伯父

「力になろう」
ジャン4世とは同盟を組んでくれなかったが
甥には甘い

同じく主の年1344年のこと、摂政ジャンヌは反逆者パンティエーブル女伯を捕縛するため兵をあげた。

この戦いは先のブルターニュ継承戦争とひとつながりの戦争と見なされたので、摂政ジャンヌとパンティエーブル女伯ジャンヌ、前女公母ジャンヌの名からとって「三人のジャンヌの戦争」と世に呼ばれた。

開戦

女伯をはじめ、パンティエーブル党の面々つまりロアン子爵、レンヌ子爵、シャトーブリアン男爵ら殆どのブルターニュ貴族も次々挙兵し戦となった。

大領主たちの中で摂政ジャンヌについたのはわずかにクリッソン領主のオリヴィエのみであった。

青がモンフォール党、赤がパンティエーブル党
幼く派閥に入れなかった前女公ブランシェ以外の
公国のほとんどの諸侯が反乱に加わる

まず機先を制した摂政ジャンヌは、パンティエーブル近郊に召集していた公軍3000でもってこの地を攻撃した。女伯の夫のシャルル・シャティヨンが兵1000でもって打って出たが、勇ましく戦って敗死した。

パンティエーブルの戦い
緒戦で勝利を収める

シャルル・シャティヨンの死

その後、摂政ジャンヌは会戦を避けて分散したパンティエーブル党の小勢だけを襲わせた。

「パンティエーブルの者どもは寄せ集め。我が方はいずれ来るフランドル軍を待つ時間稼ぎをすればよいのだ」

敵主力を避け分散した小勢だけ狙う
更に東に兵を送ってブロワ軍の合流を防ぐ

主の年1347年、戦が始まって三年が経っていた。ようやくフランドル軍がブルターニュへやってきた。*1

公軍とそのまま合流し、両党の会戦となった。モンフォール党は6000、パンティエーブル党は2000ほどであった。

ロストレネンの戦い

モンフォール党のクロスボウ隊1000が丘の上から散々に撃ち払い、パンティエーブル党が崩れたところを重装歩兵がなだれ込んだ。恐ろしいほど多くの血が流れて川となり、死肉は丘となった。決定的な勝利であった。

虐殺

2000のうち生き残って戦場を離れられたのは、わずか18人であった。

余勢を駆ったモンフォール党は、敵方のパンティエーブルやロアンの諸城を落として回った。その折、一人の兵士がロアン子爵の居城で立派な拵えの剣を見つけ、摂政ジャンヌへ献上してきた。

アーティファクトの鹵獲

捕縛されていたロアン子爵を公座に呼び寄せ剣の由来を聞くと、曰く「かつてブルトン人の王であったアーサー王の宝剣であったエクスカリバーが、流れ流れて当家に伝わったのです」と…。摂政ジャンヌはこの話を苦笑して聞き、

「それではそういうことにしておきましょう。我が子アルテュールは、奇しくもかの王と同じ名。いずれ彼を守る剣となりましょう」

とモンフォール公家の宝剣とした*2

”エクスカリバー”を手に入れる

その後、ロストレネンの戦いで抵抗の意志を完全に失ったパンティエーブル党は降伏した。摂政ジャンヌは息子の公位を守り切ったのであった。

”三人のジャンヌ”の内で勝利を手にしたのは、摂政ジャンヌ・ド・ダンピエールその人となったのである。

勝利

女摂政の差配

ブルターニュ公家直轄領
レンヌ、レなど斜線部を叛徒から剥奪した
計9プロビを持つ

「レ男爵とシャトーブリアン男爵は領地取り上げの上追放せよ。レンヌとパンティエーブル、ジョスランは公直轄領とする」

摂政ジャンヌが次々と公璽を羊皮紙に押していく。聖職者たちがそれを運びだす。かつてはジャン4世と愛を語らったゲランド城の執務室で、彼女はひとり机に向かい続けた。

全ては息子アルテュールのため。亡夫が遺したブルターニュを治めるため。

ジャンヌは摂政として有能かつ忠実
摂政コマンドは収入増加に振る

摂政ジャンヌは新領のうち、レンヌとレの地を重点的に開発することに決めた。レンヌでは市壁を改築したうえで監視塔などを増設し、ここを軍事拠点として定めた。レでは港を整備し公領収入の下支えをする。

レンヌとレ
それぞれ駐屯特化と収入特化に

公直下の常備軍は増員され、特に「三人のジャンヌの戦争」で活躍したクロスボウ兵は500までその数を増やした。並みの兵が一矢射掛けるうちに、ブルターニュ弩兵は二矢放つ練度を有したという。

およそ倍増された常備軍

自慢のクロスボウ兵
レンヌに駐屯させて+補正する

外交にも走り回る。娘のアリックスを、モンフォール党のクリッソン家に嫁がせた。当主のオリヴィエは見るべきところのある少年だ。いずれアルテュールの良き義兄になるだろう。

オリヴィエ・ド・クリッソン
若きクリッソン領主
父を戦で亡くす

またもう一人の娘ペルネルについては、ノルマンディー公のシャルル・ド・ヴァロワとの婚約を取り付けた。彼はほんの少し前までは「フランス王シャルル4世」と呼ばれていた少年だった。

シャルル・ド・ヴァロワ
前フランス王にして現ノルマンディー公

この少年の哀れな経緯は語るに値するだろう。

ほんの少し前、フランス王国を内紛が襲ったのだ。王家であるヴァロワ家に対して、ブルコーニュ公が諸侯の支持を集めて反逆したのである。イングランド王による南仏侵攻がいまだ終わらぬうちであったのに。

ブルゴーニュ公ウード4世は王位簒奪のため挙兵
主導したのは妻のジャンヌ・ド・カペー

ウード4世
ブルゴーニュ公
ブルゴーニュ家は最も古いカペー親王家
亡き王フィリップ5世の婿でもあった

ヴァロワ朝に不審死が続き
幼君シャルル4世が即位した経緯がある
フランス王国には陰謀が蠢く…

少年王シャルル4世はイングランド王にアキテーヌなどを割譲し停戦。ブルゴーニュ派との戦いに集中したが、結局敗れて王座を追われることになったのだ。その後シャルル・ド・ヴァロワは一介のノルマンディー公として新王に臣下の礼を取る。

ブルゴーニュ朝の始まりであった。

フランス王国家系図
ヴァロワ家からブルゴーニュ家に王位が移る

ウード2世即位時のフランス
ポワティエやアキテーヌを失陥している

しかし、この若い公をジャンヌは同盟者に選んだ。フランス王位を失ったとはいえ、彼がフランスの第一の実力者であることは間違いなかったからだ。

ブルターニュ公の同盟関係
紺がノルマンディー公で黄がフランドル伯

ここまですれば、アルテュールの政権は当分のうちは安泰だろう。

執務を一通り終えて、ようやくジャンヌはペンを置いた。もはや日は落ちて、蝋燭も尽きようとしている。彼女はこの頃、城の誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きる生活であった。寝室ではもうとっくにアルテュールも床についている頃だろう。

我が子の体は久しくこの手で抱いていない。でも、それでいい。私は統治者としても母親としても愛されるより恐れられることを選んだのだから。

厳格な摂政だったジャンヌは
母親としても苛烈なところがあった

そう物思いに耽っていると、なにやら城の広間の方が騒がしいことに気がつく。男たちの唸りと女たちの金切り声。わずかに剣と剣が交わるような音も聞こえる。

ハッとしたジャンヌはアルテュールの眠る寝室へ走る。が、数人の鎧に身を包んだ兵士たちが立ち塞がった。彼らの握る剣は血に濡れていた。

ジャンヌは顔を青くした。諸侯の支持を失いすぎたのだ。「アルテュール!部屋から出てきてはなりません!アルテュール!」そう叫ぶジャンヌを無視して兵士たちは彼女を引きずり出した。

彼女は素足のまま夜通し歩かされて、女伯の城のある南仏リモージュへ連行された。

パンティエーヴル女伯によるクーデター
三人のジャンヌの戦争では敗れたが
女伯はそれで屈する女ではなかった

公母ジャンヌは摂政を解任され捕縛された

主の1351年のこと、前摂政ジャンヌはリモージュの地で処刑された。「伝統ある諸権利の弾圧者」として。彼女の強勢を畏れたブルターニュ貴族たちは胸をなでおろした。戦場での勝利は宮廷劇の敗北にとって代わられたのだ。

母ジャンヌ・ド・ダンピエール死す
新摂政のパンティエーブル女伯の命

幼いアルテュール公は父に続き、母までも失うに至った。彼がいまだ堅信式を済ませたばかりの僅か8歳の頃のことである。

 

アルテュール狼王のこと① につづく

*1:開戦時フランドルが他の戦争で忙しかったため、到着が遅れてしまいました。それを見越して遅滞戦術に徹していたかんじです。

*2:エクスカリバーは、ブルトン人貴族やブリテン島の城を落とすと確率で手に入るアーティファクトです。説明文を読むに怪しい代物で、じっさい複数個手に入れることも珍しくありません…

ジャン三十日公のこと(1337~1344年)

大洋を望む

1337年の西ヨーロッパ

パリを西に行った果て、イングランドへ伸びる角のような半島。それがブルターニュの地である。山がちで小麦は取れぬ。なので民草は漁と牧畜、それから塩で生計を立てた。

古くよりケルトの民であるブルトン人が暮らし、いまはフランス人の公を戴く邦であった。

ブルターニュ公領
この時代はフランス王国に半臣従半独立の微妙な立場  

この半島の根元、ゲランドの城は浜にほど近いところにある。

城壁を登ればすぐ南にビスケー湾を望むことができた。海塩を運ぶ職人たちの掛け声がすぐそこで聞こえる。そこで目を細めて洋上を眺める甲冑姿の男がいた。

城主のジャン・ド・モンフォールである。

ジャン・ド・モンフォール
モンフォール=ラモーリー伯にしてゲランドの領主
野心家にして冷血漢

その領地
二つのプロビを持つ
ブルターニュ半島のゲランドが首都州

体の線は細くもう老年の歳頃。だが着る古した鎧と顔に刻まれた皺が、彼が歴戦の勇士であると語っていた。海風が吹くたびに帯につけた長剣が揺れてカチャカチャと音を立てている。

モンフォールの瞳は凪いだ海とは裏腹に炎が灯っているようだった。眺めているのは、南へ向かうイングランドの大船団だった。

イングランド軍の大船団

戦だ。それもとびきり大きな戦が始まるのだ。

主の1337年、イングランド王エドワード3世はフランス王フィリップ6世の王位を否定。自らがフランス王に即位すべく戦端を開いた。

カペー直系が途絶えたことで、女系でその血を引くエドワード3世と、男系の縁類であるフィリップ6世との間に継承戦争が起きたのだ。

英仏戦争
ギュイエンヌ領いわゆるアキテーヌを確保すべく
イングランドの南仏侵攻が始まった

エドワード3世
イングランド王
若くして王としての風格を持つ名君で
TLatLの主人公ともいえる

フィリップ6世
フランス王
カペー直系断絶で王位が転がり込んできた”幸運王”

イングランド王とフランス王の系図
最後のカペー朝フランス王であるシャルル4世から見て
エドワード3世は甥、フィリップ6世は従兄弟にあたる
ついでに他の女系継承候補も示した

「あれはボルドーへ向かっているな」

そう呟くと傍らの妻、ジャンヌが口を開く。

「もうあなたも向かう頃よ。あなたにはあなたの戦争がある」

若く美しい女だ。まなじりも鼻先も全てが鋭い。見る者の心を柔がせるというよりは凍らせるような美しさである。その振る舞いは夫のモンフォール以上に堂々として勇気と知性に満ち溢れていた。

俺には過ぎた女だ、とモンフォールは思う。

ジャンヌ・ド・ダンピエール
モンフォールの妻
フランドル伯ダンピエール家の出

「ああ、しばらく城はそなたに任せる」

そうだ俺も始めるのだ、俺の戦を。

ゲランドの城からモンフォール率いる軍勢が出立した。乗馬騎士が数人とクロスボウ兵が100で、あとは徴募兵でしめて500ほどの寡勢だ。向かうのはブルターニュ半島の先端・レオンの地。

主の年、1337年のことモンフォールはかの地を奪い取るべく、レオン領主エルベ・ド・レオンを攻めた。彼はレオンへの請求権を父からの相続により有していた。

レオン争奪戦
モンフォールは始めからレオンの請求権を持っていた

互いの手勢はほとんど同じだった。小貴族同士の小競り合いだ。だがモンフォールには同盟の利があった。

妹の夫、ヴェネツィアのドージェであるフランチェスコ・ダンドーロがはるばるイベリア半島を大回りして兵を繰り出してくれた。ありがたいことだ。

難なくレオン攻略

こうしてモンフォールは難なくレオンを手に入れた。「正統な請求権に従い、卿よりこの地を頂く」捕えられて肌着一枚のエルベ卿を、モンフォールは城から蹴り出した。

勝利
とりあえず3プロビの伯に

レオンの攻略からゲランドへ戻る途上、ブルターニュの首府ヴァンヌを通りがかった。代々のブルターニュ公城がある都市だ。

レオンなど始まりに過ぎない。あそこの公座に座るための最初の一歩なのだ。

ブルターニュ公位への野望がジャンにはあった

ジャン3世善良公
当代のブルターニュ公
異母兄にして主君

異母兄のジャン3世に男子はいない。順当にいけば次の公爵位は弟のモンフォールのものであったが、ジャン3世はその継承権を認めなかった。異母兄弟同士の仲は長らく拗れきって、二人は忌み嫌い合う仲だったからだ。

待てど暮らせどモンフォールは公になれぬ。

廃嫡trait
これによりモンフォールは
あらゆるカペー系の継承権を失っている

ブルターニュ系ドルー家の家系図

一時はジャン3世がジャンヌにさえ手を出そうとして、決闘騒ぎにまでなったこともある。それもモンフォールには気に入らない。

あの美しいジャンヌに、老いぼれめが何を色気を出す! いわく「彼女は愚弟にはふさわしくない」だとかなんとか。あの聖人面を思い出すだけで、はらわたが煮えくり返る。

妻ジャンヌにロマンスを仕掛けていたところ
ジャン3世が邪魔してきて決闘騒ぎに

ジャン3世とは開始時点からライバル関係

モンフォールがかつての怒りを思い出すことに夢中になっていると、気が付けばもうゲランド城が近い。城壁から身を乗り出して、妻ジャンヌが手を振っているのが見えた。

モンフォールは戦疲れが嘘のようにすっと体が軽くなって、馬に鞭を入れて走りださせた。小さくなっていく兵たちに声をかける。

「諸君らは疲れていよう! ゆっくりと来るように! できる限りな!」

何があろうとも、彼女を公妃にするのだ。あれはナントからブレストにかけて一番の女だ。ならば一番の男の妻でなくば嘘になる。そのためであれば、この身が燃え朽ちたってかまわない。

冷血漢のはずの老将軍は、自らの滾りを抑えることができなかった。

モンフォールは妻ジャンヌを溺愛し
ジャンヌもそれに応えて「魂の伴侶」となった

うまい話し

ようやく俺の時代がきた。

主の年1342年のこと、ブルターニュ公ジャン3世が卒去した。齢56であった。これでこの家にもう男子はいない。ブルターニュ公になる時が来たのだ。だが実際にブルターニュ公位を継いだのは、とある幼子であった。

ブランシェ1世
新ブルターニュ女公
モンフォールから見ると姪にあたる

ブランシェは、最晩年にジャン3世がもうけた女子であった。たかだか4歳である。モンフォールはパリ高等法院に訴えたが、彼が継承権を失っていることが再度認められて棄却された。

無論それで引き下がるモンフォールではない。彼はブルターニュ貴族らに声をかけて、姪から公位を引き剝がしにかかった。

ブルターニュ公位簒奪派閥を立ち上げる
諸侯のほとんどがこれに参加した

しかし…

「無理な話ね」

いらだつモンフォールを妻ジャンヌがなだめる。そうだ、どう考えても兵数が足りない。

モンフォール派全ての所領を足し合わせても出せるのは兵2000。ブランシェはそれを多く上回る4000。到底太刀打ちできない。妹の夫のドージェ殿はとっくに死んでいた。

ならば傭兵をと思っても、傭兵を雇う金がない。ゲランドとモンフォール=ラモーリーの所領から上がるのは月にフランス金貨で僅か3千リーヴルほど*1。だが傭兵を1000雇うには20万リーヴルは要る。

資金も貧乏伯爵には限界がある

モンフォールは頭を抱えるほかなかった。実のところ、彼はもう自分がそう長くない事を分かっていた。

何度も妻ジャンヌと上ったゲランドの城壁には長らく立ち寄っていない。階段で息が切れて仕方がないからだ。兄が死んでこれからだというのに…。

死が近い

暗い雰囲気の執務室のドアを叩き、おずおずと召使がやってきた。

「閣下に、お手紙でございます」

「なんだ! 高等法院のインチキ学者どもからか! そんなもの…」

モンフォールは手紙を奪って破き捨てようとしたが、召使は必死にそれを止めた。

「ち違います…! ナバラ王陛下、フィリップさまからのお手紙でございます!」

なに?とモンフォールは手を止める。確かに署名として”神の恩寵によるナバラ王にしてエヴルー伯フィリップ・ド・ナヴァール”とある。なぜナバラ王が、と慌ててモンフォールは手紙を読みだすと次第に彼は高笑いを始めた。

妻ジャンヌは夫がおかしくなったかと訝しんだが、モンフォールは嬉嬉として語り出す。

「ジャンヌ、うまい話しだぞ」

フィリップ3世
ナバラ王 
フランス王臣下としてエヴルー伯を兼ねる

その領地ナバラはピレネー山間の小王国
エヴルー伯としてフランス王臣でもあった

フィリップ3世が手よこした手紙の内容はこうだった。どうやら彼は妻と仲がこじれているようで、女王を牢獄に閉じ込めたいと考えていた。そこでモンフォールに頼みがあると。彼女が今度ブルターニュを通るらしいからその時に捕縛して欲しい……そういうわけであった。

報酬として前金で30万リーヴル、成功の暁にはもう30万リーヴルを支払うと。

「しめて60万リーヴル! 伯領収入の十数年分だ!」

「驚いた、イングランド人傭兵2000を3年は雇える額だわ」

「そうだジャンヌ! 女王陛下には悪いがブルターニュのためだ」

モンフォールも淑女に武勲を捧げる騎士の一人。良心が痛まないわけではないが、これから姪の公位を奪おうという男なのだ。それにブルターニュ公軍4000を相手取るよりは、女王一人を攫う方がずっと楽な仕事。

早速モンフォールは了承の返事をしたため始めていた。

人さらいの依頼
無事成功し引き渡した

戦争の始まり

諸侯の支持。ナバラ女王誘拐による多額の資金。すべては揃った。

ちょうどこの頃、妻ジャンヌが大望の男子を産んでいる。ジャンヌによく似た利発そうな子だ。

嫡子誕生
父の名からアルテュールと名付ける

「私は私の戦いをしたわ」

産後の息も絶え絶えの声で、ジャンヌはモンフォールに告げた。そうだ。長らく男子に恵まれなかった我が家に、妻はこうして勝利をもたらしてくれた。

「任せてくれ後は俺の番だ」

主の年1343年のこと、モンフォールは兵をおこした。彼のブルターニュ公位を請求するためである。公国摂政であるブランシェ女公の母ジャンヌ・ド・サヴォワは、この請求を痛罵し逆賊モンフォールを討つため兵を集めた。

「屈しはしない」

公母ジャンヌ・ド・サヴォワ
幼いブランシェ女公に代わっておそらく書状を書いた

老骨に鞭うち、モンフォールはゲランド城を出た。モンフォール党の軍勢は公領首府のヴァンヌへ兵を進め、公軍は峠道でこれを迎え撃った。激戦になったがモンフォール党が破ってそのまま城を攻囲。落城せしめた。

ロシュフォール=アン=テールの戦い
ほぼ互角の軍勢だったが、騎士の数の差が出て勝利

ヴァンヌ占領

モンフォールにとって幸いだったのは、攻城戦のさなか幼いブランシェ女公を捕えたことであった。彼は公母と交渉し、ブランシェの所領をそのままにすることを条件に、ブルターニュ公位を譲りうけることになった。

幸運なブランシェ捕縛

和平

モンフォール伯、いや今や神の恩寵により正統な全ブルターニュの公であるジャン4世。彼を遮る者は最早この公国にいない。

見たか兄上よ。すべては思いのままだ。ここからだ、ここからどう公国を統べようか。

ブルターニュ公爵ジャン4世

だがその後すぐ彼は病がちになり、ベッドから起き上がることができない日が増えていった。妻のジャンヌも涙を目に浮かべるばかり。

泣くな、そなたはナントからブレストにかけて一番の女。そして今や一番の男の妻なのだ。そう口を動かそうにも、もう唇を開くこともできないようになっていた。

ジャン4世の死
継嗣はわずか1歳の一人息子・アルテュール
衰弱Traitが思いのほか早く効いた

主の年1344年、ジャン4世はそのまま眠るように帰天した。ブルターニュ公となり僅かひと月のことであったので、世人は彼を"三十日公"と呼んだ。

 

摂政ジャンヌ・ド・ダンピエールのこと に続く】

*1:リーヴルは当時のフランスの通貨。ゲーム内の1Goldを千リーヴルとしてこのAARでは表現することにします。

白貂の系譜

CK3 The Lion and the Lilies
1337年ブックマーク

Crusader Kings 3(Paradox Interactive社)は、中世ヨーロッパの貴族の政治的生活を題材としたシミュレーションゲームです。

本記事は当作の大型MODである The Lion and the Lilies(以下TLatL)を導入したプレイレポートになります。TLatLは1337年より始まる英仏百年戦争をメインテーマに据えており、バニラでは対応していない後期中世からプレイできるほか、極めてヒストリカルな設定と野心的なプロビ設計の持ち味のMODです。*1

今回のプレイでは1337年のブルターニュ公弟、ジャン・ド・モンフォールを選択しました。史実では彼の子孫はブルターニュ継承戦争を経てブルターニュ公となりましたが、このプレイではどうでしょうか。そして百年戦争は一体どう言った展開を見せるのでしょうか。

目次

ジャン三十日公のこと(1337~1344年) 

摂政ジャンヌ・ド・ダンピエールのこと(1344~1351年) 

アルテュール狼王のこと①(1351~1371年) 

アルテュール狼王のこと②(1371~1405年) 

素晴らしきシモーヌのこと①(1405~1417年) 

素晴らしきシモーヌのこと②(1417~1437年) 

プレイ環境

▪DLC :W&Wより前のすべて、ver1.9.2.1
▪MOD :The Lion and the Lilies/Nameplates/Invisible Opinion/Beautiful Portraits/Better CoA Designer
▪プレイ対象:ドルー=モンフォール家
▪開始年月日:1337年シナリオ
▪難易度 :Normal/Ironman mode

ジャン・ド・モンフォールとその家系について

ブルターニュ公の
白貂(アーミン)柄の紋章
清廉、高潔を意味する

かのフランス王家のカペー家の支流にドルー家という系統がありました。その更に分家筋がブルターニュ公位を得ます。これがブルターニュ系ドルー家です。

ジャン・ド・モンフォールは、ドルー家のブルターニュ公であるアルテュール2世の次男です。モンフォール=ラモーリー女伯であった母が死ぬとその伯位を継承したので、彼の家系はドルー=モンフォール家と呼ばれました。*2

彼の異母兄であるブルターニュ公ジャン3世はモンフォール伯を嫌い、彼を公国の継承ラインから外しました。ジャン3世が死ぬと、モンフォール伯と姪ジャンヌが継承をめぐって争います。これがブルターニュ継承戦争です。ブルターニュ継承戦争はイングランドとフランスの代理戦争の体をなして長期化(モンフォール伯がイングランド側、ジャンヌがフランス側)。最終的にはモンフォールの家系がブルターニュ公位を勝ち取り継承していきました。

彼の家系を通じ、第三勢力として混迷の英仏百年戦争シナリオを堪能しようというのが今回のプレイの趣旨です。

*1:例えばパリはパリらしく圧倒的に豊かになっています。またプロビについては例えばイル=ド=フランスなどを除き、基本的に一男爵領と一プロビとなっていてCK2を思わせる調整になっています。それに応じて直轄領の上限が大幅に上昇しており、例えば1337年ブックマークのイングランド王は100以上のプロビを直轄領にしています。またタイトルの名前などもこだわっていて、イングランドの公爵級タイトルは「Earl」表記になっていたりしているのも嬉しいポイント。

*2:つまりアルビジョワ十字軍や第二次バロン戦争で知られる、あのモンフォール家に女系で連なっています。