女王の戴冠
壮麗な棺がナポリの街を行く。自慢の青い空も赤レンガの街並みも、この日だけは色あせているようだ。棺の中で眠るのは、アンリ・ド・モンフォール。アルテュール王の嫡孫、早世した王太子ロベールの子。ナポリの王たる少年だった。
長く、長く続く葬列が少年の死を悼みながら行く。
あれは、大層かわいい子だった。母親似の赤毛が愛らしく、ひとたび笑顔になればどんな癇癪持ちだって心和らぐ。モンフォール家が食卓を囲めばいつだってあの子が話題の中心だった。それが。あんな小さいのに、死んだなんて。
葬列は静かに歩みを進める。その先頭には王母のセシリア。"カタロニアの花"と謳われた美貌も血の気を失い、今にも倒れこみそうだ。
それを傍で支える、より一際目を引く美人が一人がいる。
こちらはまだ年若い。この女がこたび新たに王となる、シモーヌ・ド・モンフォールである。アンリの姉で、王太子ロベールの長女だ。
髪色は王母セシリアと同じ栗色、しかし顔貌はどちらかといえば美人揃いだったアンジュー家の女たちの血を感じる。頬は青白く湖面のようで、瞳はそれを照らす月光である。名うての吟遊詩人にすら形容し難い美貌である。
彼女の後ろには王家一門のギョーム伯と、ルイ伯がつづく。それぞれ亡き王アルテュールの次男と三男。つまりアンリとシモーヌの叔父にあたる。
ルイ伯はいかにも不服そうに剣を鳴らしながら、姪シモーヌに語りかける。
「一体これからどうするんだ。モンフォール家はこの王国じゃ余所者だ。その当主は強くなきゃとても渡り合えない…やはり王にはギョーム兄が相応しいんじゃないか」
やめんか、と制するのはギョーム伯。
「何度も話し合っただろう」
「いや兄上、そうはといっても諸侯がだなぁ……」
シモーヌは叔父ルイ伯をにらみつけ、ぴしゃりと言う。
「女には女の強さというものがございます」
口の扱いではシモーヌに敵わないと知っているルイ伯は、思わず言葉に窮するが…。
「…しかし、どうやるってんだ」
「見ていてくださいませ、叔父上」
切り崩し
まず女王となったシモーヌが行ったのは、徹底的な懐柔であった。彼女は王国の反王勢力の領袖の一人であるフランチェスコ・サンセヴェリーノを王国大法官の地位につけた。
さらにパレルモ島で最大の勢力を誇り、かつてこの地の王家であったトリナクア家の当主、ウゴ善良伯には狩猟長の官職を与えた。
こうした動きに両者はすぐさま平服した。フランチェスコ伯は大法官として他諸侯の懐柔に務めたし、ウゴ伯は狩猟長を任せられるとすぐに上等な猟犬を連れて宮廷を訪れ、新女王シモーヌへこれを献上した。
「忠勤に感謝します」
亡きアルテュール王がかつて編ませた「助言者に囲まれる王」のタペストリの前で、女王シモーヌはこの老人から手にキスを受けた。
見え透いた利益供与はすぐさま効果を発揮した。王国の蠢動は収まり、女王の支配を受け入れた。もとより諸侯たちがモンフォール家の支配を覆そうとなどしていないことをシモーヌはわかっていたのだ。
彼女が夫であるターラント公アントワーヌとの間に子を成すと、諸侯らはもろ手を挙げてそれを祝福した。
「…俺が間違っていたようだな」
これには強情なルイ伯も舌を巻くほかない。女王シモーヌの微笑みに膝を屈さぬ男たちはいなかった。
東へ西へ
シモーヌは詩文を書き、庭園を自ら整えることを好んだ。また学者たちを盛んに支援し、彼らは女王の元で古典文芸、古典学芸の復興に励んだ。
ナポリへとイタリア中の賢人が彼女のパトロネージュを求めて集う。失われたローマの英知がそこでで再び花開いたのだ。
こうした宮廷の空気はシモーヌの海への関心を高めた。学者たちに言わせれば東方世界には知恵と富が眠り、そして大西洋のはるか西を行けばそこへたどり着くという。イタリアの諸共和国どもを出し抜き地中海をわが物にすれば、その権益はシチリアのものになるかもしれない。
この後じっさいシモーヌは盛んに外征に励んでいく。ギリシャへの出兵もその一つだ。
主の1410年のこと、シモーヌはかつてアテネ公であったルッジェーロ公を支援し、その地位を回復するとしてビザンツ帝国へ攻め入った。
弱体化の一途をたどっていたビザンツ帝国にこれに抵抗する力は残っておらず、シチリア王国の宗主下のもとでアテネ=ネオパトラス公国が建設されることになる。
シモーヌは取って返すように今度は西方へと兵を送る。イベリア半島でのアンダルシア十字軍である。
イベリア半島最後のイスラム勢力であるナスル朝を、いつまでたっても攻めぬカスティーリャに業を煮やした教皇は、諸侯を募って十字軍を発したのだ。
シモーヌは自らの名代として、王配であるアントワーヌ公を送った。名目上のエルサレム王である彼はエルサレム十字に身を包み、カブラの地での決戦で大いに戦った。
この決戦で諸侯をまとめ上げた、カンタブリア公アルフォンソは類まれな人物である。道化の姿で馬に跨り、数多の異教徒たちを殺した。この物狂いの哀れな男は、自らの罪を贖うためにいかなる十字軍戦士よりも働いたのだ。
しかし、これはモンフォール家の物語であるから端へ置こう。いずれにせよナスル朝は消え失せイベリア半島がすべてキリスト教徒のものとなったということである。
ヴォクラールの戦い
主の1412年のこと、十字軍が終わってすぐ。ブルターニュより知らせが女王のもとへ届いた。かの地を任せられている叔父ギョーム伯からだった。
「シモーヌ、イングランドが動いた。すごい軍勢だ、連中は本気だぞ。至急兵を送ってくれ」
ついにか…いずれはこうなることは分かっていた。
イングランドとフランスを遮るように位置するブルターニュ領。旧フランス王家ヴァロワ家との蜜月。全てがプランタジネット家を苛立たせる。いつかは決着をつけねばならなかったのだ。
かの王国は極めて強大だ。ギョーム伯曰く敵勢は5万近いという。しかし、この時のためにアルテュール王の遺した財産が生きるのだ。
故アルテュール王が守ったヴァロワ家は、フランスの外で繫栄していた。シチリア王国は常に皇帝派に与して何度も彼らを助けてきた。「ヴァロワ無くしてモンフォール無し」は彼の言葉だ。
この戦いでは、ヴァロワがモンフォールを助ける番だ。
「あなた、必ず生きて帰ってきて。これが妻としての願い。そしてイングランド人に死を。これが女王としての願い」
女王シモーヌは夫のアントワーヌに兵3万を預けた。
「心得た」
アントワーヌは静かにそうとだけ答えてナポリを立つ。目指すはフランス東部。そこで皇帝軍とポーランド軍と合流し、パリへ進軍する。
しかし、アントワーヌは思わぬところでイングランド勢と遭遇した。彼らもそれを読んで東フランスへ兵を送っていたのだ。そこで図らずしも決戦となった。
重騎兵1500、軽騎兵2500の騎兵隊がシチリア勢の主力だ。その後ろをブルターニュで鳴らしたクロスボウ兵2500が支える。対するイングランド勢はウェールズ人長弓兵3000が何よりの力だ。
「重騎兵など長弓兵で串刺しにできる。連中、100年前にフランスで何が起きたか知らんらしい」
イングランド勢の中で嘲笑が巻き起こる。長弓兵の重騎兵に対する優位性は、エドワード不屈王がフランス征服の際に明らかにしたことだった。
しかし、アントワーヌは今回もそうなるとは思っていなかった。
アントワーヌは慎重にイングランド勢をなるだけ平らな会戦地におびき寄せた。
「ポーランド人軽騎兵で長弓兵を脅かし、ドイツ人下馬騎士で槍兵を押さえつける。そこに重騎兵を突っ込ませろ!」
シチリア勢は地が割れんばかりの喚声を飛ばす。フランス語で、ブルターニュ語で、イタリア語で、ドイツ語で、ポーランド語で。その全てが同じことを意味していた。「殺せ! イングランド人を殺せ!」
そして実際にそうなった。
イングランド司令官のフィリップ・ド・ブルブールは戦死。イングランド勢は東フランスを退かざるを得なくなった。アントワーヌはこれを追い、今度はフランドルで捉えた。
この敗戦に、エドワード5世は女王に1600万リーヴルもの賠償金を支払って和を乞うた。これは英仏王国の収入80か月分にも上る。
アントワーヌは女王に代わってこれを受け取り、停戦合意書にサインした。
しかし、金貨があまりにも多い。シチリア側の事務官だけでは手が足らないので、ノートルダム聖堂の僧たちまで集められ、一月ばかしかけて金貨を数えあげた。それからアントワーヌはパリ中の馬車を借り上げて、これをナポリに持ち帰った。
噂好きなパリ市民たちはこれを大いに愉快に思い、エドワード王を”女王陛下の金袋”と呼び、シモーヌ女王を”(金貨で)光り輝くシモーヌ”と呼んだという。
シモーヌはアントワーヌを温かく迎えると、この土産話を聞いて声を上げて笑った。そして、「これは戦の褒美ですよ」とアントワーヌが遠征しているさなかに生まれた三女を抱かせてやった。そうしていると、王母のセシリアが私にも抱かせてと近寄ってくる。まだ年端もない娘達もそれに加わる。
アンリが死んでモンフォール家に沈黙が訪れ10年ほど。ようやくナポリ宮廷に笑顔が戻ってきていた。
【素晴らしきシモーヌのこと② につづく】
*1:しれっとガロ文化をアルテュール王時代に作っており、文化指導者をモンフォール家が務めています。ガロ文化はブルターニュとフランスの混合文化で、騎士道と海岸地域での戦闘バフを特徴とする海の戦士というべき文化になっています。