三人のジャンヌの戦争
ブルターニュを相続した時、アルテュールはほんの幼子であった。
父ジャン4世は剣によって公となり、その栄光を身に浴す間もなく死んだ。主の年1344年のことである。
摂政として、公母のジャンヌ・ド・ダンピエールが領邦を治めることになった。最愛の夫を亡くした悲しみを受け止める時間は、彼女に残されていなかった。
剣によって得られた座は、剣によって脅かされるものだ。
かつてはジャン4世と共に戦った貴族たちが、今度は彼の子を引き摺り落とすために剣を取った。貴族たちが新たに公に就けようとしたのは、公家傍流のパンティエーブル女伯とその夫シャルルである。
パンティエーブル党は、アルテュールの母で公国摂政であったジャンヌ・ド・ダンピエールに公座を明け渡すように迫った。不道徳と変わり身が彼ら貴族の常である。
ただの寡婦ならば身を引いただろう。高等法院に遺産を保護してもらうよう何枚か手紙を書いて、あとは亡夫の魂の平穏を祈る修道院暮らしだったろう。子も一介のモンフォール伯として生を全うしたかもしれない。
しかし、摂政ジャンヌはただの女ではなかった。獅子の心の持ち主。ナントからブレストにかけて一番の女。断固として反逆者たちを討つことにした。
「あえて、パンティエーブル党の者らを切り崩しはしませぬ」
「何故でございましょうか」
いざとなれば矢面に立つ麾下の騎士たちが不安そうに尋ねる。主人を失ったゲランドの城の領主の間で、摂政ジャンヌを囲みモンフォール党の者たちが顔を寄せあっていた。幾許かの小貴族と司教らである。
「戦になれば、亡き夫が雇い入れたイングランド傭兵が使える。戦が二年後三年後となっては遅いのです」
「なるほど…」
「しかしそれでも兵が足りませぬぞ、パンティエーブル党も兵3000は出せましょう。当方とはあくまで互角。いや騎士が少ない分不利だ」
「そこは我が兄上、ルイ伯を頼ります。フランドル兵が加われば7000は固い」
「おお!フランドル伯がご参戦なされるのか!」
同じく主の年1344年のこと、摂政ジャンヌは反逆者パンティエーブル女伯を捕縛するため兵をあげた。
この戦いは先のブルターニュ継承戦争とひとつながりの戦争と見なされたので、摂政ジャンヌとパンティエーブル女伯ジャンヌ、前女公母ジャンヌの名からとって「三人のジャンヌの戦争」と世に呼ばれた。
女伯をはじめ、パンティエーブル党の面々つまりロアン子爵、レンヌ子爵、シャトーブリアン男爵ら殆どのブルターニュ貴族も次々挙兵し戦となった。
大領主たちの中で摂政ジャンヌについたのはわずかにクリッソン領主のオリヴィエのみであった。
まず機先を制した摂政ジャンヌは、パンティエーブル近郊に召集していた公軍3000でもってこの地を攻撃した。女伯の夫のシャルル・シャティヨンが兵1000でもって打って出たが、勇ましく戦って敗死した。
その後、摂政ジャンヌは会戦を避けて分散したパンティエーブル党の小勢だけを襲わせた。
「パンティエーブルの者どもは寄せ集め。我が方はいずれ来るフランドル軍を待つ時間稼ぎをすればよいのだ」
主の年1347年、戦が始まって三年が経っていた。ようやくフランドル軍がブルターニュへやってきた。*1
公軍とそのまま合流し、両党の会戦となった。モンフォール党は6000、パンティエーブル党は2000ほどであった。
モンフォール党のクロスボウ隊1000が丘の上から散々に撃ち払い、パンティエーブル党が崩れたところを重装歩兵がなだれ込んだ。恐ろしいほど多くの血が流れて川となり、死肉は丘となった。決定的な勝利であった。
2000のうち生き残って戦場を離れられたのは、わずか18人であった。
余勢を駆ったモンフォール党は、敵方のパンティエーブルやロアンの諸城を落として回った。その折、一人の兵士がロアン子爵の居城で立派な拵えの剣を見つけ、摂政ジャンヌへ献上してきた。
捕縛されていたロアン子爵を公座に呼び寄せ剣の由来を聞くと、曰く「かつてブルトン人の王であったアーサー王の宝剣であったエクスカリバーが、流れ流れて当家に伝わったのです」と…。摂政ジャンヌはこの話を苦笑して聞き、
「それではそういうことにしておきましょう。我が子アルテュールは、奇しくもかの王と同じ名。いずれ彼を守る剣となりましょう」
とモンフォール公家の宝剣とした*2。
その後、ロストレネンの戦いで抵抗の意志を完全に失ったパンティエーブル党は降伏した。摂政ジャンヌは息子の公位を守り切ったのであった。
”三人のジャンヌ”の内で勝利を手にしたのは、摂政ジャンヌ・ド・ダンピエールその人となったのである。
女摂政の差配
「レ男爵とシャトーブリアン男爵は領地取り上げの上追放せよ。レンヌとパンティエーブル、ジョスランは公直轄領とする」
摂政ジャンヌが次々と公璽を羊皮紙に押していく。聖職者たちがそれを運びだす。かつてはジャン4世と愛を語らったゲランド城の執務室で、彼女はひとり机に向かい続けた。
全ては息子アルテュールのため。亡夫が遺したブルターニュを治めるため。
摂政ジャンヌは新領のうち、レンヌとレの地を重点的に開発することに決めた。レンヌでは市壁を改築したうえで監視塔などを増設し、ここを軍事拠点として定めた。レでは港を整備し公領収入の下支えをする。
公直下の常備軍は増員され、特に「三人のジャンヌの戦争」で活躍したクロスボウ兵は500までその数を増やした。並みの兵が一矢射掛けるうちに、ブルターニュ弩兵は二矢放つ練度を有したという。
外交にも走り回る。娘のアリックスを、モンフォール党のクリッソン家に嫁がせた。当主のオリヴィエは見るべきところのある少年だ。いずれアルテュールの良き義兄になるだろう。
またもう一人の娘ペルネルについては、ノルマンディー公のシャルル・ド・ヴァロワとの婚約を取り付けた。彼はほんの少し前までは「フランス王シャルル4世」と呼ばれていた少年だった。
この少年の哀れな経緯は語るに値するだろう。
ほんの少し前、フランス王国を内紛が襲ったのだ。王家であるヴァロワ家に対して、ブルコーニュ公が諸侯の支持を集めて反逆したのである。イングランド王による南仏侵攻がいまだ終わらぬうちであったのに。
少年王シャルル4世はイングランド王にアキテーヌなどを割譲し停戦。ブルゴーニュ派との戦いに集中したが、結局敗れて王座を追われることになったのだ。その後シャルル・ド・ヴァロワは一介のノルマンディー公として新王に臣下の礼を取る。
ブルゴーニュ朝の始まりであった。
しかし、この若い公をジャンヌは同盟者に選んだ。フランス王位を失ったとはいえ、彼がフランスの第一の実力者であることは間違いなかったからだ。
ここまですれば、アルテュールの政権は当分のうちは安泰だろう。
執務を一通り終えて、ようやくジャンヌはペンを置いた。もはや日は落ちて、蝋燭も尽きようとしている。彼女はこの頃、城の誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きる生活であった。寝室ではもうとっくにアルテュールも床についている頃だろう。
我が子の体は久しくこの手で抱いていない。でも、それでいい。私は統治者としても母親としても愛されるより恐れられることを選んだのだから。
そう物思いに耽っていると、なにやら城の広間の方が騒がしいことに気がつく。男たちの唸りと女たちの金切り声。わずかに剣と剣が交わるような音も聞こえる。
ハッとしたジャンヌはアルテュールの眠る寝室へ走る。が、数人の鎧に身を包んだ兵士たちが立ち塞がった。彼らの握る剣は血に濡れていた。
ジャンヌは顔を青くした。諸侯の支持を失いすぎたのだ。「アルテュール!部屋から出てきてはなりません!アルテュール!」そう叫ぶジャンヌを無視して兵士たちは彼女を引きずり出した。
彼女は素足のまま夜通し歩かされて、女伯の城のある南仏リモージュへ連行された。
主の1351年のこと、前摂政ジャンヌはリモージュの地で処刑された。「伝統ある諸権利の弾圧者」として。彼女の強勢を畏れたブルターニュ貴族たちは胸をなでおろした。戦場での勝利は宮廷劇の敗北にとって代わられたのだ。
幼いアルテュール公は父に続き、母までも失うに至った。彼がいまだ堅信式を済ませたばかりの僅か8歳の頃のことである。